地学雑誌104巻,6号1995年12月発行
田村知栄子・早川由紀夫
Chieko Tamura and Yukio Hayakawa
8. まとめ 以上の考察の結果,天明三年の噴火の推移は次のようだったと私たちは考える(表2). 旧暦四月八日(太陽暦5月8日)最初の噴火が起こった.46日間の静穏の後,五月二十六,二十七日に噴火があって,諸国に灰が降った.再び18日間の静穏の後,六月十八日に北東方向に降灰した.さらに6日間の静穏の後,二十六日から本格的な噴火がはじまった.七月三日,四日は静穏期だったが,五日の昼からプリニー式噴火がはじまった.降下軽石の下半部はこの後約40時間の噴火堆積物である.七日の夕方吾妻火砕流が三度くらい流出した.降下軽石下半部に挟まれる3枚のピンク色シルト層はこの火砕流から空高く上昇したサーマル雲から降下した火山灰であろう.同じころ南麓の沓掛では熱泥流が発生した.七日夜から八日朝までがプリニー式噴火のクライマックスだった.降下軽石上半部がその堆積物である.このとき軽井沢では,降下軽石によって火災が多数発生した.八日午前8時に噴煙柱がすこし盛り返したが,その後まもなく山頂火口からのマグマ放出はほとんど終了した.鬼押出し溶岩流は,少なくとも,プリニー式噴火のクライマックスには北へ向かって流れ下っていた.午前10時ころ,おそらく強い地震動によって,北側山腹の一部が崩壊して鎌原岩なだれが発生した.この崩壊が鬼押出し溶岩流内部の高温高圧部を急激に減圧させて熱雲が発生した.鎌原村を埋没させた岩なだれは吾妻川に流れ込んで熱泥流となった.昼ころ上州では黒い泥雨が降った.夕方には,軽井沢や坂本で泥が降った.鬼押出し溶岩流の前進はもうしばらく続いた.その後七月十八日ころにも噴火があり,山頂火口では九月ころまで何らかの活動が続いたらしい.