「白い山」という意味のマウナケアは、標高4206mのハワイ島最高峰である。ホノルルからハワイ島のヒロに向かう飛行機では、右側の窓際に座るとその名の通り雪をかぶったマウナケアを見る事ができる。「長い山」という意味のマウナロア(標高4169m)もその奥に雄大な裾野を流していた。マウナケアの山頂を極めることは、我々のハワイ巡検の目的の一つであった。
まずマウナロアに・・・
マウナケアの山頂へは車で行けてしまう。だが、高度4000mという高地に加え、レンタカーで行くには様々なリスクがあったため、山頂アタック隊は中村M、中村S、佐藤、東宮、金井、長井、の6人のみとなる。食料と防寒具を車に詰め込み、ガソリンは満タンにしていざ出発。途中のサドルロードは、まるでジェットコースターのような道であった。我々一行は高地順応と明朝に予定しているマウナロア登山の下見をかねて、まずはマウナロアの3300m地点にある気象観測所を目指す。サドルロードをひた走り、左手にマウナケア山頂へ向かうしっかりとした舗装路が出現する。そのほんの先に、車一台分の幅しかない仮舗装路が右手へ伸びる。マウナロアへの道だ。行けども行けども溶岩の海原。車は大波をいくつも越え、まるで嵐の中を進む帆船のように、ひっくり返りそうになりながら進む。アア溶岩とパホイホイ溶岩の変化だけであとは何も変わらない風景だった。
気づくとだいぶ登ってきたらしく、今まで見えていたマウナロアの山体はすでに一面の溶岩となり、足元とその周囲しか見えなくなっていた。その名の通りのマウナロア(長い山)を体感する。標高3300m地点がこの道の終点で、そこで高地順応をかねた昼食を行った。走っても少し息切れするだけで、そんなに空気が薄いとは感じない。だがこれからいくマウナケアは4200m。十分体を順応させるために長い時間休憩をとった。
先ほど登ってきた道を下っていく。何度通っても気持ちの悪くなる道だ。昼食をとったところでは眼下に見えた雲も、途中で突き抜けて、サドルロードまで下りると上空に広がっていた。どうやら2500m付近に雲が広がっていたらしい。かなりの雲量になってしまっていて、青空が少なくなっていた。
マウナケア山頂への道のり
さあ、次はついにマウナケアへのアタックだ。とは言っても人間はただ車のアクセルを踏むだけなので、アタックするのは車という方がよいかもしれない。だけど、それがあだになって急激な気圧変化のために、人間は高山病になる。その為、マウナケアへ向かう人は高山病対策をしっかり行う必要がある。ガイドブックには、前日の飲酒は避けるということや、24時間以内にスキューバダイビングをした人は行けないとあるが、要するに体調を整えておく事が大事である。我々は持っていかなかったが、携帯用の酸素ボンベがあると安心だ。標高2800m地点にオニヅカ・ビジターセンターがある。オニヅカとはスペースシャトル「チャレンジャー」で亡くなった、ハワイ島出身の宇宙飛行士のこと。ここに立ち寄って休憩していくと、ちょうど良い高地順応になる。
山頂への道ははじめは道幅も広く、ハイウエーのようであった。しかし3000mを越えたあたりで、突然道がダートになった。勾配がきついうえ、酸素もすくないからか、この車、フォードの2000Mでは少々きびしい。やはり4WDで行くことを勧める。他にこのような乗用車で来た人たちはほとんど見なかった。水温計に注意しながら、車にも休憩をさせた。
気づくと頭上には紺碧の空が広がっていた。雲海は遥か下に見える。だいぶ上にあがってきた。未知なる4000mの世界はもうすぐそこに見える。下界では半袖姿だったがもう上着なしではいられない。計算すると、海抜0mで気温28℃である時、山頂ではたったの3℃である。間違っても下でいた格好そのままで来ては行けない。真夏と真冬を一度に経験できるのも、世界中探してここくらいしかないのではないか。
まわりの景色は一面褐色。月面を思わせるような風景である。アポロ宇宙計画の際、月面を見立てた訓練をここでやったという。全くうなずける。
山頂が見えてきた
山頂に点在する天文台が、見えるくらいのところまで登ってきた。ダートの道は再び舗装された。走りやすい。乗用車でも結局のところ登ってこられる。高度がわかる時計を持っている人は、最高値をメモリーしておこうとしていたが、4000mになったとたん「full」と表示されてしまって、落胆していた。「Gショック」ですら想定していないほどの高地に来たことを実感する。余談であるが、私の車スズキ エスクードについている高度計も4000mがフルスケールである。「地球には知らない道がたくさんある」というキャッチコピーのエスクードもいつかここまで、連れてきてやりたい。
マウナケアはマウナロアとは違って、山頂に大きなカルデラはない。スコリア丘が点在するのがマウナケア山頂である。新しくないのでマウナロアのように、パホイホイ溶岩やアア溶岩は全く見あたらない。
スコリア丘のような丘の頂に、白い天文台が映える。紺碧の空とのコントラストが、天文台の白を際だたせる。天文台へ入るわき道に入らないように、山頂へ向け車を走らせる。一番高いところにある天文台まで車は行ける。そこがこの道の終点である。着いた。4200mの世界へ。
標高4200mの世界
ドアを開けるとそこは気温3℃。万全な防寒対策で、成田空港にいたときより厚着をしてきた。深呼吸してみる。あまり空気を吸った気がしない。気圧は地上の3分の2である。そういえば頭がなんかぼんやりしている。視野も狭かった気がする。自分の場合を例えるとそれは、飲み過ぎた次の朝のあの頭が重たい感じであった。これが高山病かとちょっと感慨にふけった。からだ全体がにぶるので、動作も頭の回転も明らかにおそかった。僕はカメラのフィルムを巻き戻さずに取り出してしまった。ああ何をやってしまっているのかと思っても、手はすぐにふたをを閉められなかった。大事なものを忘れたりしてしまうので、行動には気をつけよう。ケアの山頂で車のキーをなくしたり、インキーしてしまったら本当に大変だ。
山頂で沸かしたコーヒーを飲み、持ってきた食料をかじる。沸騰する温度が低いから、すぐに冷めてしまった。一休憩すんだあと、本当の山頂を目指す。車から降りて、すぐそこに見える丘の頂が、山頂である。直線距離にして300mくらいか。重い頭と足をフルに使って、丘を登る。息を吸っても吸っても苦しい。雪で滑って滑落しないように気をつけて登ると、山頂は案外あっけなくあらわれた。鉄製の棒と三角点のようなものがあるだけだ。山頂を実感させないが、「あのマウナケアの頂上に立っているんだ」と暗示をかけたら、僕の頭は素直に感動した。車で山頂の手前300mまで乗り付けて、マウナケアを極めたと言うには、とてもおそれ多いが、少なくとも4206mの頂上にいることは、自分の人生の中では最大級の感動であった。ハワイに来て良かったとしみじみ思った瞬間であった。
日没までかなり時間があったため、山頂から辺りを散策しだした僕は、東西南北あらゆる方向を見下ろしに歩き回った。南にはマウナロアがどっかりと腰をおろしていた。どこから見ても、その平たくて横に広い山体は雄大だ。教科書上で「なんてすばらしい、大きな山なんだ」と思いながらみていた楯状火山マウナロアを、今、この目で見下ろしている。こんなにすばらしい楯状火山マウナロアは、世界でここでしか見られない。こんなものを自分一人だけが見ていて良いのか。できることなら、みんなにこの風景を見せてやりたい、と思った。とにかく、幸せを感じた。
西の方も東の方も雲海だった。けれど海の向こうにはマウイ島がうっすらと見えていた。プウオオからでている水蒸気の煙もかすかに見えた。僕はこれらの景色を心だけでは足りず、カメラに360度ぐるりとおさめた。しかし、実はその後巻き戻さずふたを開けてしまったので、感光させてしまったのだ。だが、あの景色は心にしっかりと焼き付いている。
影マウナケアだ
山頂周辺を歩き回って疲れきった僕は、車に戻りぐっすり眠りこんでしまった。他のみんなもすでに寝ていた。どうやら酸素が少ないのも関係しているのだろうか。1時間ほど車の中で睡眠をとったお陰で、高地順応ができて、体の調子は良くなっていた。日没まであと1時間。空が夕焼け色になるまでに山頂に行っておこうと、再び山頂に向かう。
ふと、東の空を見た。「影マウナケアだ!」地平線に近づいた太陽が、影富士ならぬ影マウナケアをつくっていたのだ。雲海にできたその山体の影は、平たい三角形をしていた。その頂点に僕らはいる。僕らの影も映っているかな?と見てみたが、スケールの違いに気づいていなかった。そうだ、これはマウナケアの影なんだ。よくよく考えてみたら、再び感動した。
深く神々しい夕日
太陽が低くなるにつれ、影マウナケアも伸びていく。さきほどよりだいぶ赤くなってきた。太陽が足元よりも低いところにある。下から太陽光線を浴びている感じだ。夕焼けの色は、例えようのない色をしていた。明らかに下では見られないような夕焼けだ。燃えるような橙色の太陽、そしてそのすぐ上にはすでに暗黒の空が広がっている。夕焼けの幅が狭いのである。それでいて、南から北まで180度にもわたり、地平線に沿ってはうように赤く光っていた。
影マウナケアは橙色の光の中にくっきりと浮かび上がり、その頂は遥か彼方、水平線をも越える位置にある。まさか影が空に伸びるはずがない、目を疑った。いや、本当だった。影マウナケアは、足元より下から照らす太陽の光によって、彼方の水平線を越え、宇宙に向かって影をのばしていた。
太陽が沈んだ。沈む瞬間はあっと言う間である。普段見る夕焼けは、わりと空全体が夕日に照らされる気がするが、ここからの夕焼けは、地平線すれすれの空だけが、夕日に照らされている。すぐ上の空はすでに宇宙色をしている。飛行機から見たのと同じといえば、わかる人がいるかもしれない。高度が高いと、このような夕日になるのであろうか。日本でも、真冬の寒い日の夕焼けに似ているかもしれない。
太陽が沈むと急激に気温が下がりはじめた。我々は、ずっと山頂にたたずみ、日没を眺めていた。その美しさは、気温がすでに0℃であることを、忘れさせる。東の空には、太陽の光が通っている部分と、日没している部分の境界線がはっきりと、空に向かっているのが見えた。まだ空の上の方は、水平線の下に行ってしまった太陽によって照らされている。それが、夕日の赤い色によって、境界線として見えているのである。そしてその境界線は、影マウナケアと同様、宇宙に向かって伸びていた。
日没後も1時間ぐらい山頂にいただろうか。時間を忘れさせてくれる、夕日の姿に、影マウナケアの姿に、僕は悟りを開いてしまうような気になってしまった。標高4200mから見る夕日の色は、深く神々しく、たとえようもなく美しい。心の奥にしっかりと焼き付け、もう一度ハワイ島に来たときは必ずやここに来て、またこの夕日を拝みたい。
みんなそれぞれのものを胸に、私達は帰路に着いた。空はすでに、足元からの満点の星空に変わっていた。