12.30 マウナロア山頂をめざして奮闘(中村庄八)

 寝袋からぬけ出し、登山仕度を手早くすませ、佐藤茂夫氏、中村正芳(M)氏、中村庄八(S)をのせた小型車は、スペンサービーチのテント場を出発する。時計を見ると 6時、まだ闇夜で、ライトをつけ、国道19号を南下する。対向車はほとんどない。前方に目指すマウナロアがあるはずだが、見えない。上空は星明かりで、天気は、前日よりも良さそうだ。信号機のない交差点を左折し、ワイコロア村への道路にはいる。

 ドライバーの中村M氏が、燃料の減りが速いのに気づく。「昨日、マウナロアの気象観測所とマウナケアの山頂まで走って半分しか減らなかったのだから、大丈夫」と、助手席で余裕の中村S。東の空が明るくなる頃、サドルロードにはいる。ここから登り坂となる。燃料計が、みるみる間に「E」に近づく。昨夜、派手なイルミネーションの輝きを見せた軍事施設の横で、ついに燃料が1/4となる。「ワイコロアのスタンドで満タンにしておけばよかった。俺の車と同じケージであれば、強力に主張するんだった」と悔しがる中村M氏。ちなみに中村M氏の10数年間愛用の車も、燃料計が正確でなく、半分からは急に減るとのこと。このままでは、帰りの燃料がない。軍事施設の先のキャンプ場手前でUターンする。

 ワイメアの町を目指す。10分ほどもどったところで、赤色ボデーの早川号とすれちがう。当然、本人は、舞いもどる我々に気づくはずがない。カーブではタイヤを鳴らしての暴走運転。乗り心地はジェットコースター、運転はテレビゲーム感覚なみ。「障害物に出くわしたとき、路肩からはみ出したときはゲームオーバーさ」と中村M氏。たったの30分で、ワイメアのガソリンスタンドに着く。早朝から営業している。「よかった」と、一安心。タンクを満タンにし、再出発。助手席で、恐い思いをした中村Sがかわって運転する。チンタラ運転にしびれをきらし、また、中村M氏が運転する。

 8時45分、気象観測所手前の標高約3300mの駐車場に到着する。ここの地点までは、昨日下見をしていたおかげで道路状況がわかり、予定より、1時間弱の遅れですんだ。先に着いた早川氏が身支度をしている。「K嬢も、同行する予定だったが、寝ていたので置いてきた」とのこと。我々も、登山準備をしながら、朝食をとる。

 遠方には、やたらとコブの多い不格好な山体のマウナケアが見える。昨日、高所順応をかねて、強風にもめけず、あの山頂で、オレンジ、赤、紫、暗黒とカラフルに変化する日没を見てきた。日本では見ることのできない、4205mでの感動的な夕焼けだった。今日、4169mのマウナロアに登頂し、ハワイ島のダブルアタックを達成する予定。しかし、夕方には、スペンサービーチに張ったままのテントを撤収、その後ワイコロアの宿泊所への合流もあり、ここの駐車場を14時に出発しなければならない。ガス給油によるこの1時間の遅れがどのように影響するか。

 1台の乗用車が上がってくる。外人(ハワイでは我々の方が外人であるが)の若いカップルが降り、これから我らと同様に山頂をめざすとのこと。佐藤氏以外は、日焼け止めクリームを塗りたぐる。外人はタンパンに半そで姿である。「さぁ、出発」と、思いきや、カップルの車のランプのスイッチが入りっぱなしに気づき知らせる。感謝される。「おっと、うちの車のランプもついたまま」と、中村M氏はあわてて戻る。危ない、危ない。ハワイ島では、ランプを点灯して走行するドライバーが多い。慣れないことを真似ると、思わぬ失敗をまねくこともある。

 9時10分出発。ジープ道の入口に、マウナロア登山コースの詳しい案内板がある。我々の持参した地図は、ハワイ島全図の観光マップである。スケールは1:330,000で、等高線の入っていないルート図である。群馬ではこれしか入手できなかったのだからしかたない。佐藤氏は、持って来ない。高いところをめざして進むとのこと。方位磁石もなく、帰り道が不安になったらしく、中村Sの差し出した観光マップのコピーを受け取っている。

 ジープ道を500mほど進むと、登山道を示す矢印が左手にあり。ここから、登山道となる。といっても、日本のような整備された歩道があるわけでなく、草木が皆無のパホイホイ溶岩の表面を歩くのである。日本の山道にたとえていうなれば、斜度が約5度の緩い山腹ぞいで、角のとれ丸みをおびた石を積み上げた石段である。この上を、歩幅を広げて登っていく感じである。数十m間隔に、小石を積み上げた腰ほどの高さの小山(ケルンという)があり、このケルンづたいに登っていく。これが登山道となる。

 登山者は、我々4名と、後から追いかけてきたカップルの2名だけである。最初のうちは、ほぼそろって登っていく。しばらくしてややスローペースにしびれを切らした佐藤氏が、ダッシュし、我々を引き離す。その後,中村Sも、必要最小限の装備のみの軽いザックをよいことに、ややペースを速くする。中村M氏と早川氏は、周囲を観察したり撮影したりで、相変わらずのペースである。外人のカップルはいつのまにか、ルートからはずれて見えなくなる。彼らは、二度目の登山とのことでコースを少なからず知っているようだ。

 9時50分。大きく迂回をしているジープ道を横切る。腕時計に内蔵の高度計は3500mを示す。先ほどまで見えていた気象観測所の白色のアンテナが完全に見えなくなる。20分ほど登り、表面がとげとげしく、赤褐色をした溶岩を横切る。この溶岩は、アア溶岩と呼ばれている。表面が比較的なめらかなパホイホイ溶岩と違って歩きにくい。

 10時20分。再度、ジープ道に出る。今度は、ジープ道上を進む。10分ほどで、道路の右側に「Trail」の矢印の入った木製の看板がある。 ここから砂礫の小径となる。靴で踏みつけると、ザクザクと音を立ててつぶれるスポンジ状の礫もある。左右に5mほどの小山状の高まりが続く。中央部がへこんでおり、マグマを吹き上げたスパターコーンと呼ばれる火砕丘群である。1850年の火山活動のときに出現したようだ。

 高度計は3790mを指し、日本では体験できない高所となる。太陽光に反射する残雪が、小径上にある。すでに、佐藤氏が山頂をめざして先に行っているはずであるが、それらしき足跡がない。後方にも人の気配なし。異国の地で、ひとりぼっちとなる。道に迷ったか。内心不安となり、鼓動が高まる。地図はあてにならないが、案内板とケルンづたいに歩いている。ともかく、先に進む。

 出た、ジープ道に。11時丁度。登山道は、山頂カルデラの一つ、ノースクレーターに向かって直進しているが、ジープ道は、つづら折になっていて、数回交差する。迷っていないことがわかり、ホッとする。マウナロアの山頂に早く着くには、この先、ジープ道を行った方が賢明。かなり急坂となったジープ道を、あえぎながら進む。空気が薄いことを,からだ全体が感じる。

 前方の尾根を越えると、緩やかな道となり、視界が開ける。右下から、手を振り「ハロー」と声をかける登山者が登ってくる。こちらに向かって手を振るなんて馴れなれしい。タンパン姿である。なんと、一緒に登りはじめた外人ではないか。後方に女性も見える。忠実にたどってきた登山道は、遠回りであったことに気づく。また時間のロスをした。ケルンが点々と続いている。帰りは、ここから下ることにしよう。こちらも、手を振って、先を急ぐ。

 しかし、行けども行けども、丘陵がつづき山頂らしきピークは見えない。ジープ道ぞいには残雪が多くなる。先に行ったはずの佐藤氏の踏み跡は確認できない。すでに、高度計は、4000m以上になると表示される「FULL」のままである。時刻は、Uターン制限ぎりぎりの正午が迫っている。ジープ道はさらに悪路となる。左がわに光を反射する物体が見える。道路から外れ近づく。ソーラーバッテリー板、ヤギアンテナ、そして観測機器の入る軽量ブロック製の小施設である。この横に小道があり、これが山頂へつづく登山道だ。

 10分歩いたところで、12時。時間切れである。まだまだ続く丘陵の先が山頂であろう。登頂は断念する。マウナロアとは長い山を意味するとのこと。まさに、その通り、長い長い道のりである。せっかく、ここまで来たのだ。山頂の南に広がる巨大カルデラを一目見て帰ろう。

 登山道をはずれ、南に進む。アア溶岩を越えると、突如、断崖の先端となる。モクアウェオウェオ・カルデラが眼前に広がる。下を覗くと、からだごと吸い込まれそうである。スケールにできるような草木や人工物が存在しないので、崖の高さは目測できない。100m以上はある。この断崖は、左右から、ひと回りしてつながり、リング状になっている。対岸まで約3kmである。クレーター内は、真っ黒な溶岩で満たされた死の世界である。溶岩の多くは、1949年と1984年に流出した。今でも、数カ所の割れ目から白煙が上がっていることから、地下では、完全に冷えきっていないのであろう。

 さあ、引きかえそう。帰路は、重力に逆らわなくてよく、快適に下る。ときには走る。途中から、カップルの登ってきたルートを下る。ケルンとペンキのマーカーにそって進む。標高3500mのジープ道を越える。背後から足音が聞こえる。佐藤氏である。偶然にも、往路に彼がダッシュをかけた地点で、帰路に再開することとなったのである。彼は、クレーターリムにそって山頂をめざしたが、中村Sと同様に時間切れで引き帰してきたとのこと。

 約束した駐車場に、13時55分に到着。ぎりぎりセーフ。中村M氏の姿はない。荷物の整理、休憩、食事をして、彼が到着するのを待つ。中村Sの登山靴の底の溝は消えかかっている。今日を含めて、3日間、硬い溶岩の上を歩いたからである。待つこと50分。中村氏が到着。ノースクレーターで道に迷ったとのこと。

 無事にもっどった3名を乗せたレンタカーは、一路、スペンサービーチをめざす。駐車場には、まだ早川号が残っている。彼には、制限時間はない。当夜の早川氏の話では、観測機材の位置から、30分ほどで山頂とのこと。あと僅かの距離だったのだ。今さらレンタカーを逆恨みしてもはじまらない。