4.生きている火山キラウエア

 ヒロから11号線を南下する.グレンウッド(Glenwood)のガソリンスタンドふきんで左手に,白い水蒸気を上げるプウオオが見える.ここから12km離れている.

 "Hawaii Volcanoes National Park" のサインが出たら左折する.車一台あたり10ドルの入場料をゲートで払う.7日間有効だから,もらったレシートを大事にとっておこう.300m進むと右手にビジターセンターがある.ここで最新情報を手に入れよう.

 ビジターセンター Kilauea Visitor Centerは,毎日07:45から17:00まで開いている.入るとすぐ目の前の電光掲示板に噴火情報が流れている.カウンタ内のレンジャーに尋ねれば,もっと詳しい情報を個別に教えてもらえる.地図や書籍もここで手に入る.

 アメリカの国立公園はどこもうまく運営されている.ふつう入場料を取るが,ビジターセンターが充実しているので納得できる.有益な情報がビジターセンターで得られることを観光客もよく知っているようで,かならず立ち寄るようだ.だからいつも混雑している.置いてある地図や書籍のレベルも高い.合衆国地質調査所発行の色刷り地質図が説明書つきで置いてあったりする.値段も安い.わかりやすく書かれた普及書も多い.また,毎日時刻を決めて催し物がある.スライドや映画のほかに,野外を歩きながらレンジャーが解説する企画もある.これがとくに人気あり,大勢の観光客が毎回参加者している.

 ボルケーノ・ハウス ビジターセンターの向かいにあるVolcano Houseの玄関を入り,レストランと売店を左右に見ながらまっすぐ抜けて裏庭に出ると,目の前にキラウエア・カルデラが広がっている.カルデラの大きさは5km×3kmだが,ここからは短径3kmが左右に見えている.カルデラ壁の足元に崖錐がほとんどないから,この窪みができたのはそう古いことではない.溶岩流に覆いつくされたカルデラ床は平坦で,まったく植生がない.中央にある直径1kmの円形の窪みは,ハレマウマウ(Halemaumau)だ.その右の,一番高い崖の上にハワイ火山観測所(HVO)の白い建物が見える.晴れていれば,その背後にマウナロアの雄大な山体が広がっているはずだ.

 キラウエア・カルデラ Kilauea Calderaの周囲には,カルデラに付き物の大規模火砕流堆積物がみつからない.このカルデラの窪みは,一回の大きな噴火によってカタストロフィックに沈降してできたのではなく,無数回の小さな噴火のたびに山頂部が徐々に沈んでできたらしい.山頂直下に貫入したマグマの重みで地表が沈降したという考え(Walker, 1989)と,リフトゾーンの延長線上の深海底にみつかる大量の玄武岩溶岩の放出がこの沈降の原因であるという考え(Holcom et al., 1988)がある.マウナロア山頂にあるモクアウェオウェオも同様のカルデラである.

 18世紀以降のキラウエア火山 1790年にキラウエア・カルデラ内で発生した強い水蒸気マグマ爆発によって,カルデラ床がめざましく沈降したらしい.キラウエア・カルデラを1823年に初めてみたヨーロッパ人 William Ellis は,その深さが300m以上あったと記録している.彼は,カルデラ内に高温の溶岩湖があったことも書いている.ハレマウマウのことだろう.このあと100年間,そこから溶岩がカルデラ内に連続的に流出して,床は徐々に埋め立てられた.

 1924年,ハレマウマウ溶岩湖の頭位が下がったため,地下水が火道内に流入して水蒸気爆発が起こった.キラウエア火山に似つかわしくないモクモクとした噴煙を背景にして大勢の(無知な)観光客がすまして並んでいる写真(たとえばWright et al., 1992のFigure 78)は,この年に撮られた.爆発直後のハレマウマウの深さは300m以上あったという.

 このあと,噴火の表舞台は東リフトゾーンに移った.1959-1965年にキラウエアイキ-カポホ噴火が起こり,1960年に溶岩流がハワイ島東端の村カポホ(Kapoho)を襲った.近年の溶岩流災害の始まりだ.1969-1974年のマウナウル噴火の溶岩流は南へ12km流れて太平洋に達した.1983年から始まったプウオオ-クパイアナハ噴火では,1986年に最初の住居が溶岩流に飲み込まれたあと,1990年に182棟が飲み込まれた.南海岸を回る130号線は,溶岩流に切断されたままである.

 クレーターリム・ドライブ Crater Rim Driveを反時計回りに進んでキラウエア・カルデラを一周しよう.高温の水蒸気を常時噴き出しているスチームベント(Steam Vents)を通りすぎると,まもなくHVOとジャッガー(Jaggar)博物館だ.HVOは一般には公開されていない.ジャッガー博物館には,ペレーの毛・ペレーの涙などの火山噴出物が展示してある.ジャッガーはHVOの初代所長の名である.

 

 南西リフトゾーン(Southwest Rift Zone)で,1971年噴火割れ目とそこから溢れだした溶岩を見よう.割れ目の下部には1790年角礫岩があり,その上に厚さ1mのレティキュライト(reticulite)層がある.レティキュライトは,隣り合う気泡が互いに連結して三次元の網目集合体となったスコリアである.よく発泡しているにもかかわらず,水に浮かべると沈むという特異な性質をもつ.ここのレティキュライトは別名Golden Pumiceと呼ばれている.

 ハレマウマウ(Halemaumau)火口のまわりには1924年の水蒸気爆発で飛散した角礫が散在している.なかには直径1mの岩塊もある.入れ替わり立ち替わりやってくる大勢の観光客は,そんなことにはまったく気づかない.火口壁中段に見える水位マークは1967-1968年の溶岩湖のあとだ.クリスマスの日に行ったからか,火口の縁に鳥の丸焼き・魚・酒のお供えがあった.ここはネイティブハワイアンの聖地なのだ.駐車場に戻ると,ハワイ固有の鳥ネネ(Nene)が二羽いた.脚輪をつけていた.

 ケアナカコイ展望台(Keanakakoi Overlook)はネネの保護区(Nene Teritory)となってしまったので,駐車して見学することができない.道路切り割りに1790年サージ堆積物が露出しているが,近寄って見ることができなくて残念だ.

 チェイン・オブ・クレーターズ道路 Chain of Craters Roadは,東リフトゾーン上に生じた多数のピットクレーター(pit crater)のそばを通る.そのうちのひとつが,パウアヒ・クレーター(Pauahi Crater)だ.ピットクレーターは,地下にできた空洞に天井が落ち込んでできた窪みをいう.噴火口ではない.1979年に噴火割れ目が道路の向こう側に開き,そこから溢れだした溶岩がパウアヒ火口の中に流れ込んでいる.

 道路はここで東リフトゾーンを離れて,マウナウルの溶岩流を横切って進む.東リフトゾーンがキラウエア・カルデラからまっすぐ東へ伸びないでいったん南へ湾曲しているのは,自重のせいで山体が南へ側方移動しているからだ.

 パホイホイ溶岩とアア溶岩 道路が左カーブしてホーレイ断層崖(Holei Pali;Paliは「崖」の意)を下る直前に,右側の路肩が広く開く.そこに駐車して1972年溶岩を観察しよう.

 表面がつるつるな溶岩をパホイホイ(pahoehoe),がさがさのクリンカーで覆われている溶岩をアア(aa)という.パホイホイの上は(裸足でも)歩きやすいが,アアの上を歩くのは(登山靴でも)困難だ.

 噴火初期に上昇してくるマグマは揮発性成分に富んでいるので,爆発的な膨張が起こって火口の上に噴泉ができる.これと同時に地表に溢れ出す溶岩は,ガスに気化熱を奪われて温度が低下しているから,斜面を流下中に固化臨界温度に達しやすい.半固結した表皮が内部の運動によって壊されるとアアクリンカーが生じる.揮発性成分に乏しい噴火後期のマグマは,地表に溢れだしたあとも高温状態を長く保つことができるので,静かにゆっくり固化してパホイホイ溶岩になる.溶岩トンネルは熱をほとんど逃がさないので,パホイホイ溶岩をつくる理想的なシステムである(Rowland and Walker, 1990).

 溶岩のすき間には,1983年からのプウオオ噴火で飛来したペレーの毛(Pele's hair)とレティキュライトがみつかる.ペレーは,キラウエアの火口内に住むと信じられている女神の名前である.

 トレイルを歩こう ときには車を離れて,トレイルを歩くと楽しい.ハワイ火山国立公園には,よく整備されたたくさんのトレイルがある.歩きたいトレイルの現況は,ビジターセンターのレンジャーに聞けば親切に教えてもらえる.トレイルガイド(無料)があったら一部もらおう.以下に,私が歩いたトレイルをいくつか紹介する.

 デバステーション・トレイル(Devastation Trail)は片道800mの短いトレイルだ.1959年のキラウエアイキ噴火のあとを訪れる.プウプアイ(Puu Puai)は,キラウエアイキの南縁に開いた火口から上がった高さ600mの噴泉でつくられたスコリア丘だ.降下スコリアの分布軸はするどく南西に向いている.トレイルを歩き始めてすぐ森を抜けると,地表が直径1cm程度のスコリアで敷き詰められていて,その中にペレーの涙(Pele's tear)やカンラン石の単独結晶をみつけることができる.プウプアイに近づくと,スコリアの粒径が増し,樹木が燃えつきて生じた穴(樹型)をいくつも見ることができる.

 キラウエアイキ・トレイル(Kilauea Iki Trail)は,サーストン溶岩トンネル(Thurston Lava Tube)を起点とする一周6.4kmのトレイルである.プウプアイの形成と同時に火口から溢れ出てキラウエアイキの窪みを300m以上埋め立ててできた溶岩湖の表面を歩く.地下に埋まっている溶岩はまだ熱いので,ところどころから高温のガスが噴き出ている.噴出口のまわりには白い昇華物が付着している.

 噴火末期に高温溶岩がプウプアイ火口内に逆流して地下に戻ったときに働いた圧縮力によって,溶岩湖の表皮が割れ目を挟んで互いにそそり立っている.諏訪湖が全面結氷したときにみられる御神渡りと同じだ.Kilauea Ikiは,「小さなキラウエア」という意味である.

 ナパウ・トレイル(Napau Trail)は,1969-1974年のマウナウル(Mauna Ulu)噴火のあとを訪れる.始点から1.6km地点のプウフルフル(Puu Huluhulu)までは無許可で行くことができる.その先へいくには,事前にビジターセンターで登録する必要がある.ナパウ火口(Napau Crater)まで行ける.

 マウナロア道路 11号線から右に折れてMauna Loa Roadに入ると,すぐ右手にツリーモールド(Tree Molds)のループがある.直径1m・深さ2mの巨大な溶岩樹型が複数ある.すぐ隣にゴルフ場が迫っている.

 そこから2km先のキプカ・プアウル(Kipuka Puaulu)には,森の中をめぐる一周1.9kmのトレイルがある.キプカとは,溶岩流に埋め残されて島のようになった場所のことだ.厚い土壌が多様な生物種を育んで豊かな森がそこに形成される.この森にはコアの巨樹(Giant Koa Tree)がある.バナナのような形をした葉が特徴的だ.コアはアカシアの仲間で,標高300-1800mに生える.硬くて丈夫で耐久性に優れているので,カヌー・ウクレレ・椅子などをつくるのに適する.とても高価である.丸い葉で赤い花を付けるオヒアレフア(Ohia Lehua)もハワイ諸島固有の木だ.

 標高2030mの展望台(Mauna Loa Lookout)がマウナロア道路の終点だ.ここからマウナロア山頂4169mを目指すには,途中の山小屋で2泊しなければならない.山小屋を使うときは,事前にビジターセンターで登録することになっている.登山道を少し歩いてみた.眼下にキラウエア・カルデラとハレマウマウがみえる.キラウエアイキから東は雲の中だが,西は晴れていた.キラウエア火山の東半分がジャングルで西半分が砂漠なのは,貿易風が当たる東斜面に雨が多いことと,風下の西斜面に火山ガスが運ばれて植生に悪い影響を与えていることによる.

 ヒリナパリ道路 Hilina Pali Roadは終点のヒリナパリ展望台(Hilina Pali Lookout)まで舗装してあるが,車一台がやっと通れるだけの道幅しかない.ブラインドカーブが多いの注意して運転しよう.

 キラウエアはマウナロアの南東斜面の上にのっている.マウナロアは軟弱な深海底堆積物の上につくられた巨大な火山体だから,自重のためにつぶれて側方にすべり出しやすい(中村,1980).火山全体を断ち切る正断層が動くときには大きな地震が発生する.1975年11月のカラパナ(Kalapana)地震(M7.2)はその例である.キラウエアの南海岸が南に8m移動し,3.5m沈降した.こうした地震を繰り返して,キラウエア南斜面に何列もある南に面した正断層崖が生じた.これをヒリナ断層系(Hilina Fault System)という.一方,キラウエア・カルデラを向いた北落ちの正断層群はコアエ断層系(Koae Fault System)という.Koaeは「熱帯の鳥」の意である.

 トレイルに沿ってヒリナパリを少し下りてみよう.プウオオからの火山ガスのせいで,もやがかかっている.目がしみる.あたりは溶岩の砂漠だが海岸線の一部に緑がみえる.地図でさがすと,カアハ・シェルター(Kaaha Shelter)とある.帰り道,そこでキャンプするらしい釣竿をもったカップルとすれ違った.


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