ケアモク溶岩 キラウエア・カルデラの南から11号線は,マウナロアの北東リフトゾーンから流出した大規模なKeamoku溶岩の中をしばらく走る.この溶岩の表面には,アアクリンカーとは様子がちがう直径1-2mのかたまりが多数認められる.これは溶岩に包まれたスコリアの集合体で,スコリアラフト(scoria raft)と呼ばれる.球形に近い場合は溶岩ボール(lava ball)と呼ばれる.スコリアの集合体にはすき間がたくさんあって溶岩よりずっと軽いから,流れる溶岩の上に浮かんでここまで運ばれて来た.
ケアモク溶岩の噴火記録はないが,リフトゾーンの割れ目から火のカーテンが立ち上がり,その両側にスコリアを積み上げた噴火だったことがスコリアラフトの存在からわかる.割れ目の縁からどくどく溢れ出る溶岩が,積み上がったばかりのスコリアを壊して下流に運び去った.パホイホイ溶岩は火のカーテン噴火ではできないから,スコリアラフトをのせることはない.スコリアラフトをのせる溶岩はアア溶岩に限る.
フットプリント カウ砂漠トレイル(Kau Desert Trail)をFootprints遺跡まで歩こう.往復30分だ.1790年の火山豆石凝灰岩の上にカメハメハ軍戦士の足跡が残されている(Swanson and Christiansen,1973).トレイル脇のケアモク溶岩の表面で形のいい溶岩ボールを捜して写真に収めよう.
アメリカ合衆国最南端の町ナアレフ(Naalehu)でガソリンを補給して,サウスポイント(South Point)へ向かう.道は舗装してあるが,幅が車一台分しかないので,すれ違うときはお互い草つきの路肩へよけなければならない.東風が強いのだろう.風力発電のための巨大なプロペラが10機ばかり並んでいる.教科書的な偏形樹の下で,牛を一頭丸ごと干していた.
サウスポイント South Pointは合衆国の最南端である.北西の海岸線を目でたどると,プウホウ(Puu Hou;「新しい丘」の意)が遠くに見える.マウナロアの南西リフトゾーンから流出した1868年溶岩が海岸で二次爆発して生じた巨大なリトラル丘だ.
足元にある溶岩の表面はガラス質で,ひび割れていて,ひびに沿って変色している.海水で水冷されたのだろう.
黄褐色のパハラ火山灰(Pahala Ash)がこの溶岩を2mの厚さで覆っている.パハラ火山灰は,一回の大噴火でつくられた堆積物ではない.関東ローム層と同じで,非噴火時に裸地から風で運ばれてきた火山物質が,植生に覆われた地表に少しずつ定着してできた堆積物すなわちレスである.
地表の下30cmに,白いサンゴの砂の薄層と黒い玄武岩の砂の薄層が挟まれている.津波の堆積物だろう.ヒリナ断層系の地震津波だろうか.その下には厚さ50cmほどの暗色帯がある.氷期に海面が下がって海が遠のいたときのここの環境はいまとはずいぶん違っていて,そのときこの暗色帯ができたのだろうか.
グリーンサンドビーチ パハラ火山灰の上に広がるやわらかな草原の向こうにGreen Sand Beachはある.私たちは,強い向かい風の中を歩いた.丘をいくつか越えると,プウマハナ(Puu Mahana)が見える.グリーンサンドビーチはその中の入り江にある.急な斜面を浜辺まで下りると,風がなく波も静かだった.プウマハナはタフリングであり,その火口が海食によって拡大されてこの入り江がつくられた.
プウマハナがいつどのように形成されたかを知るには,氷期/間氷期の繰り返しによる海水準変動と火山島の沈降を考えなければならない.
プウマハナは厚さ2mのパハラ火山灰に覆われているから新しい火山ではない.10万年ほど古いとみてよいだろう.前回の氷期最盛期である2万年前は,いまより海面が100mほど低かった.そのあと海面は一気に上昇し,5000年前の最高海面期(+7m)をへて,現在に至っている.したがってプウマハナができたときの海面は,いまより数十m低い位置にあった可能性が高い.
火山島はふつう沈降傾向にあり,ハワイ諸島も例外ではない.マウイ島とハワイ島の間の深さ1500-2500mの深海底にサンゴ礁があることから,ハワイ島は75万年間に2200m沈降したことがわかっている(Moore et al., 1990).これから計算される沈降速度は3m/千年だ.10万年なら300m沈降する.ハワイ諸島の海岸に段丘が見られないのは,この急激な沈降のせいである.
したがって,プウマハナはいま海岸にあるが,形成されたときは内陸の標高300mふきんにあったと考えられる.リトラル丘であるというMacdonald et al. (1983)の解釈はおそらく誤りで,ここの地下からマグマが噴き出してできた正真正銘のタフリングである.マウナロアの南西リフトゾーンからはずいぶん離れているから,マウナケアの山腹に多数見られるスコリア丘と同様の位置づけをもつ,マウナロアの側火山だろう.
数千年前に海岸線がちょうどプウマハナの位置にきたので,火山灰ばかりからなるもろいタフリングの山体が波で削り取られ,スコリアより密度が大きいカンラン石が入り江の中で選別されて緑の砂浜が生じた.ハワイのカンラン石はマグネシウムを多く含むので緑色がとくに鮮やかだ.
1868年ピクライト 11号線に戻って左折する.カフク牧場(Kahuku Ranch)の300m先の道路脇に,南西リフトゾーンから流れてきた1868年溶岩が露出している.カンラン石を多量に含むピクライト(picrite)である.カンラン石は玄武岩マグマより重いから,リフトゾーンの下部から流出した溶岩流にしばしば多量に含まれている.
ワイピオ渓谷 コハラ火山の東端にあるWaipio Valley出口の海食崖はとても高い.太平洋の荒波がコハラ火山を蝕んで崖を後退させる速度が,島が沈降して崖の高さが減じる効果をしのいでいる.これに比べて西海岸の海食崖の高さはそれほどでもない.北東からの貿易風が生み出す波浪の強弱に大きな差があるからだろう.
ワイメア(Waimea)を通りすぎて,コハラの山腹を行く.スコリア丘がたくさんある.途中の展望台で車を下りて,フアラライ・マウナロア・マウナケアを遠望したが,ヒリナパリのときと同じでもやがかかっている.前進を続けてハウィ(Hawi)で海岸に出ると,海の向こうにハレアカラが見えた.
ポロル谷展望台 270号線の行き止まりであるPololu Valley Lookoutとワイピオ渓谷との間の海岸線は,2kmほど内陸に入り込んでいる.この沖の海底には馬蹄形凹地があり,そこから長さ130kmの岩なだれ堆積物が深海底まで広がっている.水深1100mの岩なだれ堆積物の上にはサンゴ礁段丘がある.ハワイ島の沈降モデルによると,このサンゴ礁の年代は37万年前であるから,崩壊はその少し前に起こったと考えられる.コハラ山頂に見られる北西-南東方向の正断層群は,この馬蹄形凹地の真上に当たるから,崩壊地の上部が徐々に下方移動して生じた地割れだと解釈できる(Moore et al., 1989).
キャップテンクック終焉の地であるケアラケクア湾(Kealakekua Bay)は,同様の馬蹄形凹地が陸上にある例だ.ハワイ諸島でもっとも新しい大規模崩壊地形である.
噴火割れ目 コハラの西斜面を切り取ってまっすぐに走る270号線のところどころで,噴火割れ目の断面を見ることができる.水平に積み重なった溶岩とクリンカーの縞模様が両側から撓み下がって一枚のダイクに収斂している.