ゑれきてる連載 日本の火山 新しい火山観をめざして
第3回 富士山 2004年2月
崩壊する大円錐火山
美しさゆえの宿命
▼ 富士山の誕生は10万年前
東京・横浜の台地を覆う関東ローム層は、深さ10メートルを境にして特徴が異なります。それより上にはカンラン石という鉱物がたくさん含まれていますが、それより下にはほとんど含まれていません。
ローム層は、毎年の春あらしのときに裸地から吹き上げられた土ほこりが、草地に少しずつ降り積もってできたものです。関東ローム層でカンラン石が初めて出現する深さは、風上で富士山が誕生した日を記録しています。富士山は誕生と同時に、多量のカンラン石を関東ローム層に供給し始めたのです。日本の火山はほとんど安山岩からなりますが、富士山は例外的に玄武岩からなり、玄武岩の中にカンラン石がたくさん含まれています。
東京・横浜で、ローム層は毎年0.1ミリほど積もりますから、10メートル積み重なるまでには10万年かかったはずです。だから富士山が誕生したのは、いまからおよそ10万年前だったことがわかります。
南東から見た富士山 広い裾野をもった大きな円錐形の姿は、中心火道にマグマを供給する安定的なシステムが地下にあることを示唆しています。ただし細かく見ると、富士山は北北西-南南東に伸張していて、その方向に寄生火山がいくつも生じています。南南東からのフィリピン海プレートの押しつけによって富士山の地下がその方向に割れやすいため、マグマがそこをねらって上昇するのです。
裾野に谷の切込みが少ないのは、富士山がまだ若い証拠です。深い谷に刻まれた左下の愛鷹山は12万年前に噴火を止めた火山です。右下に箱根山の一部が見えています。国土地理院の数値地図50メートルメッシュ(標高)データを用いて、カシミール3Dで作成しました。
▼ 氷河を頂いた富士山
誕生直後の富士山がどんな姿をしていたかはよくわかりませんが、比較的すみやかに現在のような標高3000メートルを超える大型の円錐火山に成長したと思われます。
4〜2万年前は、年平均気温がいまより6度ほど低い氷期(氷河期)と呼ばれる時代でした。そのとき山頂の高さが3000メートルを超えていた富士山の上には、氷河がのっていました。噴火は氷の下から起こり、マグマの熱でたくさんの氷が融けました。こうして生じた大量の水は、噴火のたびに山麓の河川を泥流として下りました。泥流のなかにはグツグツ沸騰しながら流れたものもあるようです。都留市金井に泥流が残していった泥の層の中には、垂直に立ったガスパイプの痕跡をいくつも認めることができます。
富士山の泥流堆積物中に見られる沸騰パイプ。都留市金井。
▼ 秀麗な富士は5000年前から
氷期の富士山は、氷河と泥流に削られて荒々しい地形をしていたはずです。噴火のスタイルは、マグマが氷とダイナミックに接触して爆発的になることが多かったに違いありません。
しかし氷期が終わりを告げて現在のような暖かい時代になった1万2000年前から、山頂の氷が消えるのと時期をほぼ同じくして、大量の溶岩を静かに流すようになりました。三島市や富士市まで溶岩が達したこともありました。5000年前ころまで続いたこの溶岩の大量流出のおかげで、氷期のあいだに山体に刻まれた醜い傷はすっかり埋め尽くされ、いまの秀麗な富士山ができあがりました。
▼真の高さは1400メートルほど
富士山頂の高さはいま3776メートルです。しかしこれは上げ底によるものです。北東の山中湖からみると、左(南側)に宝永山の肩、右(北側)に小御岳の肩があって、山頂から開いた円錐とは別の円錐がそれぞれ下に隠れていることがわかります。山頂から開いた円錐の高さは、五合目(2300メートル)より上のせいぜい1500メートルほどです。
第一回で紹介した浅間山の高さは2568メートルですが、じつはこれも上げ底です。東側の土台にあたる峰ノ茶屋の標高が1400メートルですから、浅間山の真の高さは1200メートルほどにすぎません。このように、大円錐火山と言っても、その高さは1000メートルを少し超える程度です。真の高さが1500メートルを超える大円錐火山は、まれな存在です。
山中湖からみた富士山。左(南側)に宝永山の肩、右(北側)に小御岳の肩があります。
▼大円錐火山の崩壊と岩なだれ
大円錐火山には、真の高さが無制限に増大するのを押さえる仕組みが働いています。ふつうの山は毎年およそ1ミリずつ高くなっていますから、1000メートル高くなるには100万年もかかります。しかし、大円錐火山が1000メートル高くなるのにかかる時間は数百年から数千年です。こんなに短期間では、周囲との調和をとる余裕がありません。工事自体もいきおい「手抜き」になります。
したがって大きく成長した円錐火山は、強い地震に揺すられたり、なかば固まったマグマに下からぐいぐい押されたりすると、あっけなく壊れてしまいます。
大円錐火山が崩壊した事例は、日本では1888年の磐梯山と1640年の北海道駒ヶ岳が有名です。崩壊した土砂は岩なだれとなって高速で山麓に流れ広がり、そこに住んでいた何百人もの人々を一瞬で埋めてしまいました。後者では、岩なだれが海に入って引き起こした津波でも大勢の犠牲者が出ました。磐梯山は双耳峰、北海道駒ヶ岳は台形をしていますから、どちらも山頂を巻き込んで崩れたことが明らかです。
外国ではアメリカ合衆国ワシントン州のセントヘレンズ火山が、1980年5月18日、複数の観察者の目前で崩壊しました。2.7立方キロの土砂が崩れた結果、山頂の高さが400メートルも減じました。この事例と北海道駒ヶ岳の事例は、すぐ後に軽石噴火が続いたことから、下からのマグマの突き上げが崩壊の原因になったと考えてよいでしょう。
アメリカ合衆国ワシントン州のセントヘレンズ火山。1980年5月18日に大崩壊しました。
▼ 富士山では2400年前に
富士山は、2400年前に大きく崩れました。山頂も崩壊したとみる解釈もありますが、南東山腹だけが薄く広く崩れたと解釈すると矛盾が少ないようです。発生した岩なだれは御殿場市を覆いつくしたあと、黄瀬川を通って三島市まで、酒匂川を通って小田原市まで達しました。
崩壊した原因はわかっていませんが、東海地震かもしれません。崩壊のすぐ後にマグマの噴出が続いた証拠は残っていませんから、下からマグマが突き上げて崩したのではないようです。
東海地震は歴史時代に何回も繰り返しました。地震のあと、富士山で噴気の増大など何らかの異常が認められた例がいくつか知られています。しかし、過去およそ10回の東海地震に連動して富士山が噴火にまで至ったことがはっきりしているのは、1707年の一例のみです。
東海地震が富士山を崩すきっかけになることはありそうなことですが、それが次回の東海地震である確率は小さいとみるべきです。富士山は過去5000年間に東海地震を何十回も経験したのに、まだ崩れていないのですから。
2400年前に富士山が崩れて生じた岩なだれの堆積物。中央の礫層の部分。崖の最上部に1707年噴火の軽石とスコリアが見えます。小山町須走。
▼平安時代以降、3回の大噴火
歴史時代には、平安時代に2回(800年と864年)と江戸時代に1回(1707年)、富士山で大きな噴火がありました。
800年4月から始まった噴火は、「碎石が道をふさいだため、足柄路を廃して箱根路を開いた」とする『日本紀略』の記述でよく知られています。山中湖をかすめて忍野まで達している鷹丸尾溶岩が、古代の主要街道のひとつを塞いでしまったものと思われます。碎石はくだけた石の意味ですから、鷹丸尾溶岩の表面を覆うクリンカー(溶岩のかけら)のことを言っているのでしょう。
864年6月には、北東山腹の長尾山から青木ヶ原溶岩が北へ流れ下り、せノ海を分断して精進湖と西湖をつくりました。
江戸時代の1707年噴火は、東海地震の49日後の12月16日朝、南東山腹から起こりました。成層圏に達する高い噴煙柱が上がり、まず軽石が短時間降りました。次にスコリア(黒い軽石)が二週間も降り続きました。その結果、麓の小山町須走付近にあった村々が2メートルもの厚いスコリアの下に埋まってしまいました。100キロ離れた江戸にも砂が降りました。山腹には宝永火口がぽっかりと開いてしまい、均整の取れた美しい富士の姿に大きな傷がついてしまいました。
▼ 2000年10月の低周波地震
火山の下では、ふつうの地震とまったく区別がつかない地震も起こりますが、火山特有の地震も起こります。ふつうの地震に比べて長い周期が目立つ地震を低周波地震と言います。ゆらゆらとゆっくり揺れます。この振動は、マグマや水などの流体が地下で移動するときに出るようです。
2000年10月から2001年5月にかけて、この低周波地震が富士山の地下10-20キロで約1000回発生しました。人体にはまったく感じない小さな地震ですが、それまでは毎月10回程度しか発生していなかったのに、10倍の頻度に急増したのでした。
これがニュースとして報道されると、大勢の人が注目しました。富士山がまもなく噴火するのではないかと本気で心配した人もいたようです。しかしそのとき、富士山表面の動きは、最近高精度になったGPS観測でも、まったく捕らえられませんでした。噴気などの熱異常も認められませんでした。地下からマグマが上昇してきているなら、地面がわずかながらも膨らんだり、いままでなかったところに新たな噴気が出現したりします。
急増した低周波地震の震源が深さ10-20キロから次第に浅くなることもなかったので、あのときただちに富士山が噴火するかもしれないと思った人は過度の心配性だったと言えます。火山に異常がみつかったときは、ひとつのデータだけで判断しないで、いろいろな種類のデータをたくさん集めて総合的に判断することが大切です。
▼ 2003年9月の噴気
昨年9月、自然愛好家グループが東側中腹の林道をハイキング中に、小さな陥没とそこから噴出する蒸気を発見しました。富士山で噴気の報告は近年ありませんでしたから、このニュースが報道されたときには、場所が低周波地震の巣の真上にあたっていただけに、緊張が走りました。
しかし噴気の温度は40度程度で、量もさほど多くありません。成分はほとんど水蒸気からなっていて、火山に特有の硫黄臭をまったく感じません。林道沿いにだけ出現しているのは火山の異常として奇妙です。人為による可能性も疑われます。
この噴気は、地下で腐葉土が発酵しているだけにすぎないと軽視するひともいますが、メタンガスがまったく含まれていないのでそうとも言い切れないようです。深いところから移動してきたマグマあるいは熱水が、地表近くの地下水を温めているのだろうと解釈するひとが多いようです。
現段階では、この噴気の原因を確定することはできません。近い将来に富士山が噴火する可能性を明確につかむためには、観察と観測をもうしばらく継続する必要があるようです。
富士山東側中腹で見られる噴気の動画。2003年10月26日。