1785年5月または6月,噴火が続く中,青ヶ島に残された135人が全員死亡しました.八丈島からの救援船が一回しか出されなかったからです.
日本の火山災害史上,あまりに悲劇的なこの噴火と災害の経緯は,次の本で読むことができます.子ども向けのルビつき本です.
悲劇の島・青ヶ島の記録
火の島に生きる
278ページ
三田村 信行
偕成社 1987
1400円
以下,この本から抜粋
三そうの救助船は,つぎつぎに船底を玉石にかませて浜に乗りあげた.人びとは玉石の上をとびはねるようにして船に走りよった.救助船がくるまでは,船がきたら老人や女,子ども,体のよわった者からさきに乗せようということは暗黙のうちにだれの頭にもあった.しかし,現実に船を見とたん,そんな考えはどこかにふっとんでしまった.……
……
「乗せるな! もう乗せるな! 早く船を出すんだ1」
……
やがて一番船がガリガリと船底を玉石にこすりつけながら波打ちぎわをはなれた,つづいて二番船,三番船.浜にはまだ大ぜいの人がのこっていた.つづら折れの崖道からもなだれのように人群れがあとからあとからかけおりてくる.
「まってくれえ!」
「乗せてくれえ!」
悲鳴のようなさけび声がゴーッという鳴動のあいまにきれぎれに聞こえてくる.体力のある者はつぎつぎに海にとびこんで船のあとを追う.……
……
三そうの船は,波打ちぎわをはなれたものの,思うようにすすまなかった.船に乗りきれなかった者たちが,船尾や船べりにしがみついて,死にものぐるいではいあがろうともがいていたのだ.
「だめだ! これ以上乗せると船がひっくりかえってしまうぞ!」
船頭や水主(かこ)たちをはじめ船中の者たちは,心を鬼にして船べりにかかった手をひきはがした.だが,手は,まるで亡霊のようにつぎからつぎへと海中からのびてくる.あたりの海面には黒い頭がいくつもいくつもうかび,波とたたかいながら船に泳ぎつこうとしている.火の粉は船にもふりそそぎ,噴煙がどうっとふきかけた.もはや一刻の猶予もゆるされない.非常手段をとるほかはなかった.
「古老の伝えるところによれば」と,このときのことを『青ヶ島島史』はしるしている.「船べりにとりすがったものを,どうしても乗せるわけにはいかず,鉈(なた)でその手首を切りおとしたという」
(108-112ページから抜粋)