有珠山2000年噴火危機の特徴 --雲仙岳1991年噴火危機との比較

立入禁止ゲートの警察官

6月上旬の時点で,立入規制ゲートは5個所あったが,そのどこでも警察官が24時間体制で立っているようだった.猫の子一匹入れない厳戒態勢が敷かれている.この24時間体制は,噴火直後からずっと継続しているようだった.

このような厳重な警戒態勢は,雲仙岳1991年噴火危機でみられなかったものである.雲仙岳では,災害対策基本法63条による警戒区域が指定されたが,その境界線上に警察官が24時間立っていたことは,(私の情報収集は完全ではないが)ほとんどなかった.じっさい,1991年6月3日の火砕流で死亡した43人のほとんどは,事実上フリーパスの規制ゲートを通過して中に進入した人たちだった.1991年9月に大野木場が火砕流に焼かれたとき,多数の住民が自宅に水をかけて消火に専念したという.二年後の1993年6月の火砕流で死亡したひとりは,早朝に発生した火砕流のあと,自宅の安否を確かめに行った人である.また,そのひとの遺体のありかの情報は「○○さんの家の庭のどこそこ」と,きわめて具体的に別の住民からもたらされたという.

今回の有珠山で実行されている猫の子一匹入れない規制は,これまでの火山噴火危機で実施されたことがなかった厳戒態勢である.いま有珠山では,災害対策基本法63条は使われていない.60条すら,明示的に使われた事実がない.なし崩し的に,ムードによって,厳戒態勢が実施されている.

法に基づかない立入制限は,住民と国民の基本的人権を明らかに侵している.もし雲仙岳で立入制限を厳しく実施していれば,死者を出さずにすんだのは事実である.しかし死者を出さないためのその施策が,基本的人権をこのように侵してまでも認められるべきだろうか.私は否定的である.危険をよく知って理解した人が,自己責任において,その危険を侵す自由は認められるべきだと考える.

現在の立入制限処置が戒厳令と異なるのは,監視する組織が軍でなく警察であることだけだ.日本国憲法で保障された基本的人権を侵害したこのような処置が現実に実施されるくらいなら,災害対策基本法63条による警戒区域を指定して,法による制限をしたほうがよいと私は考える.そうすれば,損失を補償しない63条の矛盾が明らかになって,矛盾解消の道へ進むことができる.

またこの厳重な警戒体制は,区域指定そのものにかんして奇妙な関係をつくり出した.火山専門家といえども,立入規制ゲートから中に長い間はいれなかったからだ.このため,どれくらいの危険がどの地域まで及んでいるかを誰も知らない時期が長く続いた.立入規制地域の内部の情報が収集できないという,火山監視でもっとも不適当な事態が実際に出現してしまった.鶏と卵の関係だ.この時期,立入禁止ゲートに立った警察官はほんとうに恐ろしかっただろう.相手の状況がモニターできないほど恐ろしいことはない.

しかしこの状況は,5月末で解消したようだ.その時期,火山専門家が核心部まではじめて近づいて火山の状況を把握した.

規制区域図は,そもそもなかった

驚くべきことに,規制区域の地図はいつも作成されていたわけではなかったようだ.規制区域は,図解表現することがもっとも簡単で,かつ正確な情報伝達ができる.にもかからず,有珠山では長い間,文章のみによる区域指定がなされてきたらしい.公開すべき規制区域図がそもそも存在しない状況が長い間つづいたらしい.地図があったとしても,それは文章による決定をわかりやすく表現した非公式なものにすぎず,責任ある会議で決定されたものではなかったようだ.

雲仙岳のときは,火山専門家が同席した地元自治体の合同会議で指定区域を決めた.指定区域を変更するたびに,当該自治体担当者が正式職務として地図を描いて,変更内容を公開していた.有珠山でこの作業が実行されなかった理由はよくわからないが,伊達霞ヶ関とよばれるように国が前面に出てきて危機対応したことと関係があるだろう.今回国が災害対応ではじめて本格的に乗り出してきたこと自体は,高く評価してよいが,その副産物として,地元市町の自治の意欲をそいでしまった効果があったのではないか.

火山専門家と首長が同席して,制限区域指定にかんして議論を交わした時間数も,雲仙岳のときにくらべたら,有珠山の場合は少なかったのではないか.

ヘリコプターによる監視

空からの毎日の監視に自衛隊のヘリコプターを使っているのは,雲仙岳も有珠山も同じだ.ただその管理運営の実務を担当しているのは,今回は気象庁のようだ.雲仙岳のときは九州大学だった.

一時帰宅オペレーションの安全を確保するため,民間航測会社の社員が業務としてヘリコプターに搭乗して目視するシステムが,今回初めて採用された.ただしその業務は6月中旬で終了した.

奇妙なほど従順な住民

有珠山の住民は,奇妙なほど従順でおとなしい.立入規制ゲートでの警察の警備がいくら厳しくても,それとは別に,その目をぬすんで規制区域内に進入する人があとをたたないのではないかと予想したが,それはゼロではないが,とても少ないらしい.

雲仙岳のときは,こうではなかった.警戒区域内にパワーシャベルを持ち込んで復興作業を独自にはじめた人がいたくらいだった.

こうなった原因は,おそらくふたつ指摘できる.ひとつは,雲仙岳の火砕流惨事の印象があまりにつよく,火砕流の危険について必要以上の警戒心と恐怖感が住民に植え付けられた.あつものに懲りてなますを吹くのたとえが当てはまる.

そしてもうひとつは,有珠山地域の自治会あるいは商工会の結束力がきわめて強いのではないかと指摘したい.とくに洞爺湖温泉地区の運命共同体意識はきわめて強いのではないかと想像される.

建設省の動きが目立たない

雲仙岳のとき建設省火山砂防は,1991年6月3日の惨事の前からハザードマップを用意していた.その動きはすばやかった.6月30日の土石流以降,水無川への砂防工事が急ピッチかつ大規模に行われた.

しかし今回の建設省火山砂防のうごきは目立たない.板谷川の状況把握に無人ヘリを飛ばしたことが4月下旬に話題になったが,板谷川に本格的手当が必要であるという意見は聞こえてこない.板谷川の危険はそれほど大きくないという判断があるのだろうか.それとも持てる力の多くを,いま洞爺湖温泉に傾けているのだろうか.

早川由紀夫
2000.6.20.1135/1420


2000.6.8-6.10現地調査の応急報告