雲仙での悲劇を繰り返さないために...このページ群の作成目的・動機

私は,雲仙岳の噴火で死者が出ることを,1991年5月末の時点でほとんど確信していました.必然的結果としてそうなるだろうことを,ほとんど知っていたといってよいでしょう.そして,私が雲仙から戻った6日後の6月3日にその悲劇が起こりました.

他人の死には無関心でいる生き方もあるかもしれませんが,私は43人に死なれたことをずいぶんと悩みました.「人が死なないことが絶対的善だとは言えない」などとも考えてみましたが,自分を納得させることはむずかしかった.私は,あの人たちを救おうと思えば救えた位置にいたとの思いが頭からはなれません.

「火砕流」の本質を知らされないまま,とつぜん熱い空気に巻き込まれて亡くなった人たちは,さぞかし無念だったことでしょう.あのとき専門家が説明責任を十分全うしたとは,とても言えません.私は,あの悲劇の関係者のひとりとして深く反省し,今回はすくなくとも専門家としての説明責任だけは果たそうと考えています.

危険の内容と程度をよく知った上で,あえてリスクを冒して行くのなら,それは個人の自由でしょう.私には止めることができません.

このページ群を作成している目的はもうひとつあります.この災害が長期化することは明白です.その間,住民ひとり一人が生活基盤を確保して,健康的な暮らしをおくってもらうための知識をお伝えすることがもうひとつの目的です.雲仙岳では警戒区域が設定されて,多数の住民がつらくて長い避難生活をおくりました.あの不自由を有珠で繰り返さないためにはどうしたらよいか,みなさんといっしょに考えていきたいと思います.