これとよく似た記事が『扶桑略記』にあり,仁和三年七月三十日(ユリウス暦で887年8月22日)の南海地震の記述のすぐ後につづけて書いてあるので,信濃国のこの地変もそれと同日に起こった地震(信濃北部地震)であると長い間信じられてきました.
河内晋平さん(現在,信州大学教育学部教授)が,『扶桑略記』だけでなく『類聚三代格』にまで当たることによって,両地変の日付が異なることを発見したのは1982年のことです.彼は,信州で地変があったのは888年であり887年信濃北部地震はなかったと結論して,1847年善光寺地震の1000年前に同地で同様の地震が起こった事実もなかったと考えました.
彼がこの主張をするきっかけとなったのは,約1000年前に八ヶ岳で大崩壊があって,松原湖がそのときできたという事実を,野外地質調査と放射性炭素年代学によって彼自身が発見していたからです.彼は,この堆積物を大月川岩屑なだれとよびました.『類聚三代格』の記述は,長野県東部で起こったこの地変を書いたものだと彼は確信したのです.
一般的にいって,火山の山体崩壊とそれによる岩(屑)なだれの発生の原因は,1)火山の爆発(例:磐梯山1888),あるいは2)強震によって揺すられる(例:御岳山1984),の二つが考えられます.河内さんは,(確固たる証拠はまだみつかっていないものの)「1)火山の爆発」をその原因だろうと書いています.つまり,彼は,『類聚三代格』の仁和四年五月八日の記述は地震を書いているのではないと考えているのです.
しかし,昨年10月の火山噴火予知連(気象庁)による活火山の追加認定で八ヶ岳はもれました.事情を想像するに,火山爆発の証拠がまだ見つかっていないからでしょう.
それでは,「2)強震によって揺すられる」が大月川岩屑なだれの原因だったと「日本社会に認知されているか」というとそうでもありません.888年6月20日に長野県でM7以上の地震があったと記述している地震カタログをみつけることができません.宇佐美さんの新編総覧(東大出版会1987),宇津さんの地震の事典(朝倉書店1987),宇津さんのweb検索(東大地震研究所)をあたりましたが,どこにもありませんでした.
宇佐美さんの新編総覧には,「長野盆地西縁断層の北部のトレンチが行われ,約1000年前にイベントがあったという」と書かれています.長野盆地と八ヶ岳は70kmも離れていますから,このトレンチで見つかった地震イベントが大月川岩屑なだれに対応するかどうかはあやしいですが,昨年,推進本部が糸静線の評価をするときに,888年6月20日に八ヶ岳で起こったこの地変のことを検討したかどうか,気になるところです.
888年6月20日に八ヶ岳で大きな地変があったことは,大月川岩屑なだれという堆積物が存在することによって確かめられます.しかし,火山噴火予知連は,それは噴火によるものではないとする立場をとり,地震学界はそれは地震によるものではないという立場をとっているようにみえるのが現状です.噴火も地震もなくて大月川岩屑なだれという巨大地変が起こるだろうか?
文献
河内晋平(1994)松原湖(群)をつくった888年の八ヶ岳大崩壊--八ヶ岳の地質見学
案内・2の1-- 信州大学教育学部紀要,83,171-183.
河内晋平(1995)松原湖(群)をつくった888年の八ヶ岳大崩壊--八ヶ岳の地質見学
案内・2の2-- 信州大学教育学部紀要,84,117-125.
1997.3.30