Hayakawa (1999)の噴火カタログから,100年ごとの火山噴火数のグラフを作成した.十和田火山の915年噴火が規模5.7で,この期間の最大噴火である.噴火規模は,噴出物重量の常用対数で示されている.図では,5.0以上(5.7-5.0),5.0未満4.5以上(4.9-4.5),4.5未満4.0以上(4.4-4.0)の三階級に分けて示した.
この図は,物証である噴火堆積物が野外で確認された事例のみデータとして採用している.したがって,もっぱら史料記述に頼る宇佐美の地震・津波データからつくった図とは性格が異なる.宇佐美の地震・津波データからつくった図は,その事件の報告が記録されて現在まで伝わっているかどうかという古人の行為につよく影響されるが,Hayakawa (1999)の噴火カタログからつくったこの図は,噴火堆積物の調査研究がすでに遂行されたかどうかという現代地質学者の行為につよく影響される.
噴火規模5.0以上に注目してみよう.17世紀以降の増加傾向はとくに認められない.9世紀集中も認められない(注1).噴火規模4.5以上に注目すると,9世紀集中はみられないが,17世紀以降の増加傾向がややみられるようになる.噴火規模4.0以上に注目すると,9世紀集中も17世紀以降の増加傾向も顕著にあらわれる.
さて,それでは,今日の地質学者は,過去千数百年間の日本の火山噴火をどの大きさまでほぼ完全に収集し終えているのだろうか?
過去に日本で起こった火山噴火の規模と頻度の関係図からそれを探ろう.過去1000年間の噴火事例は,噴火規模4.5もしくは5.0以上の噴火はもれなく収集されているが,規模4.0以上の噴火は約半分しかまだ収集されていないことがこの図からわかる.
したがって,噴火規模4.0以上をみたときにあらわれる9世紀集中が真である保証はないことがわかる.しかし一方で,それが人為的なものであると確信することもこの図からはできない.
地域別に火山噴火をみてみよう.
9世紀の7噴火のうち5噴火が富士山を含む伊豆弧の噴火である.伊豆弧の噴火を除外すると,9世紀集中は完全に消滅する.9世紀のピークは,伊豆弧における噴火連続発生がつくっていたのである.一方,9世紀の被害地震15回のうち,伊豆は1回(841年),関東は2回(818年と878年)だけである.東海はない.9世紀の地震の震央は,全国に散らばっている.伊豆弧の活発化が9世紀の地震数を増加させているわけではない.9世紀の地震集中は,どうやら六国史編集による人為効果でみえているみかけ現象である可能性がつよい.
以上をまとめる.