八丈島
八丈島は,古い東山火山と新しい西山火山からなる.東山では2万6000年前にデイサイトマグマによる末吉軽石の噴火(M6)が起こって,山頂部に 6 km x 4.5 km のカルデラがつくられた(津久井ほか,1991).通常のプリニー式噴火は単発であるが,この噴火は数年から数十年の休止を挟んで10回ほど繰り返して起こったらしい.軽石層の間に薄いレス層が何枚も挟まれている.九州から飛来した姶良丹沢火山灰はそういったレス層のうちの一枚の中に挟まれている.
それから1万4000年前までは,東山山頂カルデラ内と山腹から玄武岩マグマが噴出してスコリアの放出と溶岩の流出が続いた.これを中之郷時代(全体でM5)という.奈古の鼻のスコリア丘は1万6000年前につくられ,唐滝川の溶岩は1万5000年前に流れた.中之郷時代の降下スコリアに挟まれるレスの中には二枚の珪長質火山灰を認めることができる.ホルンブレンドを含む下位の火山灰は山陰の大山笹ケ平火山灰である可能性がつよい.斜方輝石と単斜輝石を含む1万8000年前の細粒軽石の起源は不明である.黒瀬海穴の可能性を検討すべきである.
西山は1万4000年前に海中から顔を出した.中心火口から多量の玄武岩溶岩を流出して,まもなく円錐形の火山体を形成した.そのあと,激しい爆発を4000年前までに5回繰り返して,東山の上に5枚のカタ層(三根第三-第七)を堆積させた.この時代を三根時代(全体でM5)という.こうして中心火口の直径は2kmまで拡大したが,すり鉢状のくぼみはその後の噴火でほとんど埋めつくされてしまった.現在の山頂部がわずかに北東へ偏していることからこの大火口の存在をかろうじて,しかし確実に,知ることができる.三根時代には東山でも噴火が起こった.八幡山スコリア丘と溶岩は7700年前の噴火の産物である.火山豆石を含む三原滝凝灰角礫岩は,東山カルデラ内に蓄えられていた湖水が7000年前に排水するときと同時もしくはその直後の噴火の堆積物である.
東山の流紋岩軽石噴火が西山の玄武岩火山灰噴火の直前に起こったことを両者の噴火堆積物の間に挟まれるレスが薄いことから証明できる例がいくつかある.1万2000年前の三根第三噴火(M4)は数十年,6300年前の三根第五噴火(M4)と4000年前の三根第七噴火(M4)はそれぞれ数週間の時間を挟んで東山の軽石噴火のあとに西山の火山灰噴火がつづいたらしい.
八丈島空港周辺と三根集落ふきんの玄武岩溶岩は三根時代のあとに流れたものである.4000年前以降,西山ではM3級のスコリア噴火が8回起こっている(宮崎・津久井,1995).約500年に一回の頻度である.その最後の噴火は15-17世紀の古記録に書かれている噴火のどれかに対応すると思われる.神止(かんど)山タフリングは2000年前の西山山頂噴火と同時に形成された.
1487年11月28日の噴火(M2)のあと飢饉となったらしい.1522年から始まった噴火(M2.5)は翌年まで継続し,桑園に大きな被害があった.1605年10月27日の噴火(M2)でも田畑に被害があった.