箱根山
箱根山が誕生したのは,およそ50万年前である.その根拠は,1)水鉛谷TE5火山灰(42万年前)と小林サクラ火山灰(54万年前)の間に箱根火山起源と思われる下倉田軽石があること(町田ほか,1980),2)溶岩がすべて正帯磁している(78万年前より新しい)ことの二つである.はじめ富士山のような円錐形の火山体がつくられたが,デイサイト火砕流をともなう次の4回の噴火:TCu1(M6.0,26万年前),TB1(M5.7,24万年前),TB13(M6,19万年前),TAm1(M6.0,18万5000年前)の結果として,12 km × 9 km のカルデラが中央につくられた(町田,1977).このカルデラの中で,14万年前から10万年前までの4万年間に20数回のプリニー式軽石噴火が起こり,東方の大磯丘陵を中心として厚い降下軽石堆積物を残した.その後カルデラ内は屏風山・文庫山などのデイサイト溶岩によって厚く埋められた.
5万2000年前,ふたたびデイサイトマグマによる東京火砕流の噴火(M6.1)によって,11 km × 8 km のカルデラが古いカルデラの内側につくられた.この火砕流は猛烈な勢いで四方に広がり,半径30kmの範囲を完全に焦土と化した.東に向かって進んだ流れがもっとも遠くまで達したらしく,カルデラ中心から53kmはなれた横浜市戸塚区でもその堆積物を認めることができる.この新しいカルデラの中には,神山・駒ヶ岳・台ヶ岳などの中央火口丘群が形成された.冠ヶ岳は3800年前に地下から上昇してきた溶岩塔である.この溶岩塔は上昇過程で神山の北山腹を突き崩してプレー式熱雲を発生させ,芦ノ湖の北に広がる仙石原一帯を焼きつくした.芦ノ湖から130mも高い位置にある湖尻峠でこの堆積物を見ることができる.黒焦げの植物片を含む厚さ20cmの砂礫層である.南東部にある二子山溶岩ドームは地形が新鮮でレスの被覆が少ない.5300年前に形成された(町田,1971).
箱根山では,1933年5月10日の大涌谷噴気異常によって1人が死亡した.1953年7月26日,早雲地獄で発生した山崩れによって10人が死亡,16人が負傷した.箱根火山の爆発的噴火による災害は,冠ヶ岳溶岩塔の出現直前に起こった4200年前のプレー式熱雲以後発生していない.