地表下約10cmによく発泡したデイサイト軽石が厚さ220cm堆積している.これは伊香保軽石FPと呼ばれるプリニー式噴火の堆積物である.二ツ岳の位置から噴火した.古墳時代の遺跡(子持村黒井峰など)を埋没させていることから,6世紀中葉に起こったことがわかっている.
FPの下には,厚さ2cmほどの黒土を挟んで,厚さ28cmのあずき色をした火山シルトがある.渋川火山灰FAである.水蒸気マグマ噴火によって降下した火山灰である.FAの上ところどころには,その噴火のときに,この地表の上を通過した火砕流が残した薄い砂のレンズ
lee-side lense がある.
FAの下にクロボクとロームがある.クロボクの厚さは10cm程度と薄く,その色も黒味が薄い.ローム層の堆積は乱れていて,軽石が散在する.この露頭はもともと,平沢川の側壁をつくるような急斜面であった.すくなくとも完新世における地表面の安定性は小さく,クロボクがしずしずと堆積するような環境ではなかったようだ.
ロームのなかには,ここから40km西にある浅間山の小浅間山の位置から飛来した白糸の滝軽石(21ka,無斑晶質)と,BP軽石群(23〜25ka,多斑晶質)が挟まれている.その下には,古い時代の榛名山の火砕流堆積物の上部が見えている.
水沢山溶岩ドームの崖錐斜面の上にのるテフラとレスの断面を観察する.言い遅れたが私は,クロボクもロームもレスであると考えている.水沢山溶岩ドームの裾野がつくる平坦面の上に位置するここは,完新世のほとんどの期間,草原植生に覆われていたらしい.厚さ100cmに達する真っ黒なクロボクが堆積している.
クロボクの下にロームはほとんどなく,水沢山溶岩ドームの崖錐の表面部分が露出している.直径3 mを超える岩塊も含まれている.雲仙岳の1991年からの噴火で,このような崖錐をつくった地学現象まで火砕流と呼ぶ人が多くなったのは残念なことである.崖錐の上にロームがないことから,水沢山溶岩ドームの上昇は,更新世と完新世の境界付近すなわちおよそ1万年前に起こったと判断される.
ここは地点1より二ツ岳に接近した地点だが,FPの分布軸から南にそれるため,その厚さはやや薄く,160cmである.二ツ岳溶岩ドームまでの距離は4kmある.
FPの下には厚さ12cmの砂層(おそらくラハールの堆積物)があり,そのうち上3cmが黒い.6世紀初頭の遺跡を埋没させているFA噴火の堆積物がその下にある.たとえば渋川市の中筋遺跡では,この噴火で発生した火砕流が家屋を倒壊させていることが,考古学者による発掘調査でわかった.砂礫層はシルト粒子をほとんど含まず,著しい流動化が達成された熱雲の堆積物であることを教えている.そのような熱雲はアスペクト比(縦/横比)が小さい堆積物,つまり薄い堆積物を残す性質があるが,ここでもそれが成り立っている.炭化木が含まれているからみつけてほしい.
その下のFA火山灰の厚さは100cmと,地点1より厚い.給源に近づいたことと,FAの等層厚線が比較的丸く,分布軸が南に寄っていることによる.火山灰は集合団塊をつくってこの地点に降り注いだ.直径3mmほどの火山豆石が多数含まれている層準もある.降雨による表面流水が発生したのだろうか,斜交層理も認められる.FA降下火山灰の噴火に要した時間はわかっていない.おそらく数週間といったところか.FP(の主部)の噴火に要した時間は,プリニー式噴火モデルと他火山での実例から,数時間から十数時間だと思われる.
FA降下火山灰とその下のクロボクの境界がきわめて明瞭であることに注意してほしい.5世紀に,ここで生きていたと思ってみよう.来たるべき榛名山の噴火を予期させるような痕跡は,クロボクの中にまったくみつからない.1万年におよぶ静寂を破って始まったこの噴火が,中筋遺跡を焼いたような熱雲を発生する結果に至ることを,いまの科学技術をもってして予知可能だろうかと考えると,私は暗い気持ちになる.じっさい,その火砕流は,前橋市北部にも達して,群馬大学がいまある位置も,私の自宅がある位置も,焼き尽くしたのだった.
FP/FA間にある3cmのクロボクは風塵(レス)に落葉などが混じってできた地層である.この地層が表現する時間は約30年であろう.尾瀬ケ原では1cmの泥炭をはさんでこの二枚のテフラが認められるという.
展望を楽しむ.利根川を挟んだ向こう側に赤城山が長い裾野を広げている.10万年前ころのたび重なる土石流がつくった火山麓扇状地だ.赤城山の最高峰は黒檜山1828m.鍋割山(お鍋を伏せたかたち)・地蔵岳(山頂に電波塔がある)・鈴ヶ岳(お菓子のひよこのかたち)は,どれも数万年前に上昇した溶岩ドームだ.上昇途中に軽石流や熱雲を発生させた.
足もとに目を移すと,伊香保温泉のホテル街がある.吾妻川の向こうには子持山と小野子山.どちらも100万年前ころの火山だ.
子持山の左側から顔を出している火山が武尊山だ.片品川を挟んで赤城山の北に位置する.200万年前ころにできた.晴れていれば,子持山の右に日光白根山,小野子山の左に谷川岳が見える.
苗場山は,中之条盆地の延長線上にあるが,上越国境の山々に隠されて,ここからは見えない.
二ツ岳火口の縁にあたるここで,プリニー式堆積物と火砕流堆積物のproximal faciesを観察する.直径30cmに達する岩片が含まれていること,大きな軽石の表面がパン皮状にヒビ割れしていること,軽石の内部が高温酸化で赤いことなどを観察しよう.
渋川市金井から南へ有馬までつづく東に面した比高100mの崖は,榛名火山の山麓扇状地礫層が利根川に削り取られて出現したものである.活断層崖ではない.唐沢川の出口でその崖が途切れて,行幸田ラハールの堆積物が低地に向かって扇型に広がっている.およそ1万年前の水沢山溶岩ドームの形成時につくられた地形である.
FA噴火の熱雲で埋まった古墳時代の集落である中筋ムラは,その扇形の先端付近にある.住宅街の中に,小さいながらも,駐車場とトイレが整備された遺跡公園がつくられている.ベンダーに100円硬貨を投入すると,解説パンフレットを手に入れることができる.