三宅島
三宅島の中央には,なかば埋積された3.5 km × 3.5 kmのカルデラがある.これは,5000年前(M3.5)と3000年前(M4.4)の二回の爆発的噴火の結果として生じた地形である.いずれも玄武岩マグマによる水蒸気マグマ噴火であり,爆発時に多量の火山豆石が島の北西半部に降った.島の周縁部には,噴出するマグマと地下水が接触してつくったマールが多数存在する.そのうち,形成年代がわかっているものは,8000年前の大船渡湾マール(M3.9) ,9世紀の三池マール,1763年の新澪池マールである.
直径1400mの山頂火口(八丁平)をつかった最後の噴火は1469年のものらしい.この噴火(M3.4)では,東方に火山砂を降らせつつ直径1000mの雄山スコリア丘を八丁平火口底に築いた.スコリア丘の火口内は溶岩湖で一時満たされたが,その灼熱溶岩はまもなく西側へ排出され,溶岩流として山腹を下った. 最近の噴火は山腹に割れ目が開く様式をとることが多い.1983年噴火(M3.3)は南西に,1962年噴火(M3.0)と1940年噴火(M3.3)は北東に,1874年噴火(M3.2)は北に割れ目が開いて玄武岩マグマが噴出した.
三宅島では,焼場溶岩を流した1874年7月3日噴火(M3.2)で死者1人,ヒョウタン山から噴火割れ目が海岸へのびた1940年7月12日噴火(M3.3)で死者11人が出ている.三宅島では山腹割れ目噴火が生じやすく噴火の展開が急であるから,防災の努力がこの島ではとくに必要である.