火砕流と熱雲の堆積物
Ignimbrites and Nuee Ardente Deposits
 
 火砕流に襲われた土地は100%壊滅する.そうした災害は歴史時代にも起こっている.ただし,M6.0以上の大規模火砕流が都市を直撃した例は幸いにもまだない.
 浅間山の山頂火口から1783年8月4日午後に流れ出した吾妻火砕流(M4.0)は北東方向に8.5km進んだ.人家に達しなかったので死者はなかったが,25km2の森林が焼き払われた.

 ここでの厚さは2m足らずだが,溶結して柱状節理ができている.堆積直後に大気中の酸素と結びついて酸化反応がおこったため上部20cmだけが赤く変色している.
(群馬県長野原町の片蓋川)
 1108年の追分火砕流のマグニチュードはその6倍(M4.8)だった.北へ向かった流れは吾妻川に達し,南へ向かった流れは千曲川の支流である湯川に達した.その堆積物の上でいま,北側で3000人,南側で5000人が生活している.

 割れ目を伝わって火山ガスが上昇したため変色している.背後は四阿山.
(群馬県嬬恋村)
 駒ヶ岳の山頂火口から1856年9月に流れ出した火砕流は10.0kmまで達し,留ノ湯などで20数名の命を奪った.マグニチュードMは4.0である.

 比較的低温で堆積したためほとんど溶結していない.高温状態が長時間続いた中心部だけが酸化して赤変している.
(北海道鹿部町の漁業センター)
 十和田湖から915年8月に流れ出した毛馬内火砕流の堆積物.この火砕流の堆積物は谷だけでなく尾根の上にも薄いが分布する.
(秋田県発荷峠)