1944年噴火に学ぶ

有珠山の2000年噴火は,すでに多くの方が指摘しているように1910年の噴火とたいへんよく似ています.現在までは,それとほぼ同様の推移をたどっていると言ってよいでしょう.

しかし1910年噴火の記録は,大森房吉らによる報告がないことはないのですが,その詳しさの点では地元の郵便局長だった三松正夫が記録した1944年噴火にはるかに及びません.

1944年噴火は1910年噴火と同じ山腹噴火であり,場所こそ2000年噴火と違いますが,2000年噴火の今後を推理するときにたいへん有用なヒントを私たちに与えてくれます.

すでに地質調査所の川辺さんが,三松正夫著『昭和新山生成日記』から抜粋した使いやすいまとめを公開していらっしゃいます.とくに1944.7.2と1944.7.11の噴火記述が,防災面から重要だと思います.

私はいま,次の二つの本を書棚から取り出しました.

1)三松正夫『昭和新山--その誕生の記録--』昭和新山資料館.64ページ,1955年,300円
2)三松正夫『昭和新山物語--火山と私の一生』誠文堂新光社.268ページ,1974年,1200円

どちらも昭和新山のみやげ物屋で1982年8月に買ったものです.2)はむずかしい漢字にはルビがふってある小学校高学年から中学生むけの本です.たいへんわかりやすい.今月,同じ値段で再版されました.いま書店で手に入ります.

1)の51ページに,1944.7.2の噴火の様子が次のように生々しく書かれています.

私は夜中の突然の轟音に驚いて室外に出てみると,半天は黒煙に覆われ,弦月淡く噴煙の横を照し,火口近くに電光が閃き,物凄い光景である.見る間に全天暗黒となり,アッという間に物凄い降灰を浴びた.室内に飛び込む間もなく,火口から横ざまに溢れ地上を渦巻いてきた爆風が,戸障子がはずれる強さで吹付け,室内まで灰が襲ってきた.退避どころではない.おまけに摂氏50度の熱気で多くの町民は押入れに逃げこんだ.幸い悪瓦斯がないのと,大石が降らなかったので死傷者は無かった.

1944.7.11の噴火の様子は,ぜひ2)を読んでいただきたい.

15戸の農家が点在する西湖畔部落に吹きつけた熱煙は,60〜70度くらいで,地上の砂を吹き飛ばし,鉄砲の弾丸が貫通したような穴を窓ガラスにあけてしましました(ガラスに物がぶつかる場合,スピードがおそいとガラスは割れてしまうのですが,スピードがはやいと,割れず,スポッと穴だけあくものです).

 この爆発が始まるまでは透明のガラスだったものが,無数の砂に傷つけられ,すりガラスのようになってしまったのです.これも,地上を渦まいた熱煙のすさまじさを物語るできごとです.

西湖畔でヒメマス釣りをしていた「友人の中谷君」の体験談も傾聴すべきものです.

三松正夫が爆風あるいは熱煙と呼んだ現象は,小さくて弱いものが2000年噴火でもすでに3月31日に発生しています.

2)は,2000年噴火の今後を推理するだけのためでなく,火山のことを勉強したり,母なる自然とどうつきあうべきかを考えるために,たいへん有益な本です.


静岡大学の小山真人さんのサイトに,有珠山と火山の本と地図の紹介があります.