赤城火山の災害実績
818年7月,関東諸国を激しく揺らした大地震によって赤城山南面の新里村の多くの地点で高速地すべり(岩なだれ)が発生した.1947年のカスリン台風では,赤城山の「すべての沢」で土石流が発生したといわれるほどの大被害があった.
『吾妻鏡』の建長三年(1251年)四月の項に「赤木嶽焼」という記述があることを理由に赤城山は活火山とされているが,これに対応する噴火堆積物を確認することはできない.山頂火口内でもっとも新しい噴火地形である血の池(小沼の西にある直径80mの小火口)も6世紀の榛名伊香保軽石に覆われている.記事がいうところの四月十九日(5月11日)ころは一年のうちでもっとも乾燥するから,これは噴火ではなく山火事の記録である可能性がつよい.
赤城火山の成り立ち
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