浅間火山の災害実績

古墳時代の4世紀に起こったC噴火(M4.8)と,平安時代の1108年8月29日に始まったB噴火(M5.1)で大災害が発生したことは確実であるが,前者には古記録がなく,後者の被害記録は簡略であるために,それらの災害実態はよくわかっていない.

1596年5月5日,噴石のため多数の死者が出たという.1598年5月13日,信仰のため山頂に登った800人が死亡したという説がある.1721年6月22日,噴石のため登山者が15人死亡したという.ただし,これらの災害はまだ確かめられていない.

信頼がおける被災記録は,1783年(天明三年)5月8日に始まったA噴火(M4.8)からである.8月4日夕刻,軽井沢宿で2人が軽石に当たって死亡した.翌5日10時ころに発生した鎌原岩なだれによって,鎌原村560人のうち477人が土砂の下に埋没して死亡した.岩なだれは嬬恋村三原で吾妻川に流入して熱泥流を発生させた.吾妻川流域の900人余がこれにさらわれて死亡した.

最近の前掛山は600年〜3000年に一度大噴火(>M4)を起こしているが,大噴火と大噴火の間にはマグマ活動が活発なときとそうでないときがあるらしい.観測記録が整備されている明治以降をみると,2回の活発期(1899〜1914年,1927〜1961年)を挟んで静穏期が3回認められる.活発期には,多いときには一日に数回山頂火口で爆発を起こし,岩塊を最大4kmまで飛ばす.年間爆発回数がもっとも多かったのは1941年で,398回を数えた.現在は明治初年当時と同じくらい静穏な状態が長く続いている.しかし,11年3ヶ月ぶりに起こった1973年2月1日の爆発のようにほとんど前ぶれなく噴火することもあるので注意が必要である.

1900年代には,以下のような死亡事故が発生した:
1900年7月15日 25人以上死亡したとの記録は,安達太良山の噴火を取り違えたものらしい
1911年5月8日 噴石により死者1人
1911年8月15日 噴石により死亡多数
1930年8月20日 噴石により火口ふきんで6人死亡
1936年7月29日 噴石により登山者1人死亡
1936年10月29日 噴石により登山者1人死亡
1938年7月16日(M1.3) 噴石により死者数人
1941年7月9日 噴石により死者1人
1947年8月14日 噴石により登山者11人死亡
1950年9月23日 噴石により死者1人
1961年8月18日 23ヶ月ぶりの爆発で死者1人


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