鎌原熱泥流が残した爪あと

1783年8月5日10時ころに起こった鎌原事件全体で約1400人が犠牲になった.そのうち六里ヶ原で岩なだれに襲われた犠牲者が約900人を占める.犠牲者数が多かったのは,鎌原村(477人)・小宿村(約140人)・芦生田村(116人)である.

残りの約500人は,吾妻川に流入した熱泥流によって犠牲になった.長野原村(152人)と吾妻渓谷の村々では犠牲者が多かったが,中之条盆地では少なかった.人家のあるところまで熱泥流が溢れ出すことはあまりなかったようだ.しかし,利根川に合流する直前の川島村(113人)と北牧村(53人)で再び多くの犠牲者を出した.

利根川に合流したあとは,半田村(3人)や関根村(5人)などで犠牲者を出したが,そこでの合計は20人余に留まった.