早川由紀夫
栃木県塩原温泉新湯の東隣にある富士山は,厚い上ノ原溶岩がつくる平坦面上に突出した溶岩ドームである.その地形から判断して,高原山のもっとも新しい噴火で形成されたと思われる.奥野ほか(1997)は,この溶岩ドームと同じ噴火で堆積したテフラの上下にあるクロボクの放射性炭素年代を測定し,この噴火が6500年前に起こったと報告した.彼らの得た結論が正しければ,高原山は完新世に噴火したことになり,近い将来また噴火するかもしれない火山として警戒が必要である.しかし富士山噴火が完新世に起こったという結論を得た奥野ほか(1997)の考察には,以下の点で疑問がある.写真:富士山溶岩ドームと大沼割れ目
1)巨視的層厚分布 富士山テフラの等層厚線図(奥野ほか1997のFig. 5a)に示された全46地点のうち20地点の数値に+が付されている.これはテフラの基底が露出しないために層厚が測れないことを意味すると思われる.そう考えた上で図示されたデータポイントから等層厚線を独自に描くと,奥野ほか(1997)が描いた50cm線はおおむね妥当だが,それ以外の3本の等厚線を拘束するほどのデータは得られていないようにみえる.つまり,火口に近づくにしたがって層厚が規則的に増すという降下テフラの基本的特徴が確認できない.
2)微視的層厚分布 微視的に見ても,7列あるという割れ目に近づくにしたがって富士山テフラの層厚が増す傾向は認められない.厚さ2mを超す地層が完新世に堆積したにしては,割れ目の縁に凸の地形がまったくみられないのも不思議である.
3)テフラ直下のクロボク 奥野ほか(1997)は富士山テフラの直下にクロボクがあることを3地点(奥野ほか1997のFig 4の地点1,2,5)で観察して,その放射性炭素年代を5620±100,5700±380,5710±70,5750±80 yr BP と報告している.私は彼らの地点1と同一地点(あるいはそのごく近傍)で彼らの柱状図とよく似た露頭を,小さな沢のすぐ脇で,観察した.しかし彼らがFig. 4にTk-Ueとラベリングした地層は,他の地点で彼らが認定した富士山テフラと同一であるかどうか疑わしい.淡褐色の砂とシルトからなる特徴は他の地点の富士山テフラと似ているが,ここの最大粒径は0.8cmであって,他の地点の富士山テフラが数十cmの岩片を多量に含むことと大きく異なる.また上下のクロボクとの境界に不規則な凹凸がみられる.地層全体が10-20cm程度のブロックの集合からなっているようにもみえる.したがって,この地層が噴火堆積物であると解釈するのはむずかしい.地点1を奥野ほか(1997)の等層厚線図でみると,層厚が異常に薄い地域に相当する.また岩片の最大粒径図でも,異常に小さな値の地域に当たる.地点1の柱状図で奥野ほか(1997)がTk-Ueとラベリングした地層は,他地域で見られる富士山テフラと異なる地層ではないか.噴火以外の成因としてラハールの堆積物である可能性が考えられる.
4)地点5 富士山テフラの下にクロボクがあるという3地点のうちのひとつである地点5は,割れ目dの内側にある.奥野ほか(1997)はこれを「地すべりによって噴火以前の地表面が割れ目内に落ち込」んだ,と解釈した.この露頭を私は現地でみつけることができなかったが,独立の証拠に支えられていない奥野ほか(1997)の解釈には説得力がない.富士山テフラの厚さがわずか20cmしかないこと,富士山テフラと伊香保軽石の間がクロボクでなくロームであることも説明できる解釈がほしい.
富士山噴火の年代 地点1,2,5で奥野ほか(1997)がTk-Ueとラベリングした地層が富士山テフラでなければ,富士山の噴火が完新世に起こったとする奥野ほか(1997)の結論は根拠を失う.その場合,富士山の噴火はどれくらい古いだろうか?
富士山テフラの表面はどこでも浸食されていて,ロームまたはクロボクに不整合で覆われている.たとえば奥野ほか(1997)の地点2と地点3の間にある富士山テフラは,厚さ40cmのロームに不整合で覆われている.ロームの上には厚さ75cmのクロボクがあり,その中位に伊香保軽石が散在している.富士山テフラが分布する上ノ原平坦面は標高900-1000mだから,2万年前の氷期最盛期には裸地が広がって地表が活発に浸食されたにちがいない.気候が温暖化してきた1万5000年前頃から植物が戻りはじめ,植生に覆われた地表から順にレスが堆積するようになっただろう.したがって,富士山テフラは2万年前より古いと思われる.
富士山テフラの直下には,完新世を特徴づけるクロボクではなく変質が進んでマンガンの黒斑が生じたロームが厚くある.テフラの基底付近にある大きな岩塊のいくつかはローム層の表面に衝突クレーターをつくって着弾している.最寒冷期(2万年前,6万年前,13万年前など)の上ノ原平坦面は裸地であったろうから,富士山噴火が最寒冷期あるいはその直後に起こったとは考えにくい.温暖期がしばらく続いてレスが厚く堆積したたあとに起こったと思われる.
なお奥野ほか(1997)が等層厚線図に表現した地層は,上で議論した地点1,2,5などを除けば,それらが富士山ドームと同じ噴火でつくられたと解釈することに私も賛成である.富士山ドームの周辺だけに分布が限られていることと衝突クレーターがつくられていることがその主たる理由である.火口に近づくにしたがって層厚が規則的に増すようにみえないのは,氷期最盛期に働いた激しい浸食作用によって表面が削り取られたことに加えて,降下テフラよりむしろ爆発飛散角礫やサージ堆積物と呼ぶべき部分が多いことによるのだろう.
Fig. 1 Geologic columnar
sections of (a) the football ground and (b) the dam at Uenohara.
上ノ原集落内のサッカー場の切り取り面と上ノ原東端の堰に面した崖の二ヶ所では,富士山テフラの下に厚さ2mのローム層を挟んで,同様の石質砂礫テフラがもう一枚みられる(Fig. 1 ).その厚さは40-100cmで,最大粒径が富士山テフラよりやや小さく,表面を火山灰に覆われた丸い粒子が多く含まれる.富士山ドームの西に接した高まり(奥野ほか1997がFj-Cとよんだ火山体)と同じ噴火で堆積したテフラではなかろうか.このテフラの下にもローム層が厚く堆積している.二枚の石質砂礫テフラに挟まれた2mのローム層のほぼ中間には,厚さ20cmのスコリア層(最大粒径1cm)が一枚挟まれている.
富士山ドーム(1184m)の表面に露出する溶岩塊は角が磨耗して丸く,表面には風化皮膜が生じて大きなコケがたくさん付着している.そしてブナの大木を含む豊かな森に覆われている.1400年前に生じた榛名二ツ岳ドーム(1343m)と比べると,はるかに古い地形の印象を受ける.写真:富士山ドームのコケむした溶岩.
Itaya et al. (1989)は上ノ原溶岩のK-Ar年代を測定して,約30万年前と報告した.しかし富士山溶岩ドームの年代は,アルゴン安定同位体 (36Ar)が普通の岩石の10倍も含まれていたため,測ることができなかったという.上ノ原溶岩と富士山テフラの間にはロームが4m以上堆積しているから,レスクロノメトリー(早川,1995)の考えを採用すると,富士山溶岩ドームは25万年前より古くはないと思われる.
引用文献