この地質図をつくった意図
 地表をつくっている地層を見分けて塗り分けた地図が地質図である。火山の場合は、大きな噴火のたびに溶岩や火山灰が山麓の地表を流れ広がるから、それを現地で見分けてつくる。
 浅間山の北麓は、次の6種類の地層でおおむね塗り分けることができる:江戸時代の1783年(天明三年)噴火で流れ出した(1)鬼押出し溶岩(2)吾妻火砕流(3)鎌原土石なだれ、平安時代の1108年噴火で流れ出した(4)追分火砕流、1万5800年前の噴火で流れ出した(5)平原火砕流、2万4300年前の山体崩壊で山麓に広がった(6)塚原土石なだれ。表面に印刷した地質図には、これらより小さな噴火で生じた地層や浅間山ができる前からあった地層も表現してある。
 この地質図をじっくり読み込むと、浅間山が誕生して以来現在までたどった噴火や崩壊の歴史を詳しく知ることができる。火山の噴火や崩壊は、その地域に居住するひとにとっては災厄だから、なるべくなら考えたくないことかもしれない。しかし浅間山はいまも山頂火口から煙を吐き出す活火山である。この先、いつかはわからないが、かならず噴火する。噴火の危機が迫ったとき、災厄からうまく逃れるためにはその火山の過去の事例を知っていることが大きな助けになる。だから、いますぐこの地質図をよく読んで浅間山の成り立ちを知ってほしい。
 浅間北麓は六里ヶ原と呼ばれる。広い空の下に展開するこの高原は、浅間山が過去に何度も大噴火したからこそ生まれた。火砕流や土石なだれが浅間山から大量の土砂を山麓に運んで、表面の起伏をすっかり埋め立てて平坦にした。なかでも大笹や北軽井沢は、生まれてからまだ900年しか経っていない若い土地である。いまここに集落を形成し、農地を耕すことができるのは、まったく浅間山のおかげであることを忘れてはならない。
地形を読み取った地質図 --火山だからできた
 崖に露出する地層の岩相を観察して地質図を書いた時代が長く続いた。浅間山では、たとえば「溶結している火砕流は1783年の吾妻火砕流であり、1108年の追分火砕流は溶結していない」などの判定基準にしたがって地質図が塗り分けられた。岩相を注意深く観察することによって、南麓の追分火砕流と同時に山頂火口からあふれ出した火砕流が北麓にも分布しているという重要な知見を得ることができた。しかし、ひとつの地層がどこまでも同じ岩相を示す保証はない。岩相に頼った地質図作成には限界があることがあきらかである。
 四半世紀前、層序によって地質図をかくことが火山でもできるようになった。その目的のためにテフラ(火山灰や軽石)はたいへん有効だった。浅間山では、雲場軽石が2万2050年前の層位にあることから、その給源である離山が第三紀の火山などではなく、小浅間山と兄弟間系にある新しい溶岩ドームであることがわかった。レス(赤土やクロノボウ)を、噴火がなかった時間を示す堆積物であると解釈することによって、軽石流の噴火が二回あったとみなすことが適当でないこともわかった。
 さて、いま地形に注目して新しい地質図をかいた。浅間山の山麓には火砕流や土石なだれの堆積物がいくつもある。それらは、それぞれ特徴的な表面地形をもっている。また堆積物の年代によっても表面地形が変わる。さらに、流れは障害物を避けて下流に広がったはずだ。流れの密度と流速は広がり方を左右したはずだ。流れが行き着いた先端には崖ができたりする。そうやってできたさまざまな地形を意識的に観察することによって、これまでになかった詳しい地質図をかくことができた。
2万5000分の1の精度だと何が表現できるか
 従来の浅間山地質図は5万分の1の縮尺でかかれたが、今回は2万5000分の1の縮尺でかく。長さで2倍、面積で4倍の精度である。2万5000分の1だと、地図に地形がよく表現される。
 地形をよく観察して分布領域を精度よく決めたマップをかくと、できあがった領域区分は、リスク評価する際の事実データとなりうる。精細マップの効用はそれだけではない。それぞれの流れの特徴がよく理解できるので、より高度なリスク管理が可能になる。
 鎌原土石なだれは、吾妻川に流入する直前でも谷の中に閉じ込められることなく、台地の上に広がって流れた。万座鹿沢口駅裏の高い崖の上から、鎌原土石なだれはナイアガラ瀑布のように吾妻川に落下した。その証拠に、鎌原集落の北側にある平原火砕流台地の上には、土石なだれが置き去りにした黒岩がたくさんみつかる。
 一方、追分火砕流は、先端近くではしだいに低所を選ぶようになっている。北軽井沢と応桑の間では、平原火砕流に刻まれた幅200メートルほどの谷を選んで下っている。
新しい地質図の概略
 浅間北麓は、次の7つでおおかたを塗り分けることができる。
  • 鎌原土石なだれ(200年前)
  • 吾妻火砕流(200年前)
  • 鬼押出し溶岩(200年前)
  • 追分火砕流(900年前)
  • 平原火砕流(1万5800年前)
  • 塚原土石なだれ(2万4300年前)
  • 嬬恋湖成層(20万年前)
 今回調査して、塚原土石なだれの分布が従来考えられていたよりずっと広いことがわかった。流れ山が、予期しなかったところでみつかった。流れ山は平原火砕流の堆積表面としてはありえない地形だから、その目で観察すればすぐわかる。
 鎌原土石なだれは、北に開いた馬蹄形凹地から複数個所であふれ出している。ところによっては、500メートルも従来より広く分布することがわかった。
 鬼押出し溶岩と吾妻火砕流の分布は従来とあまり変わらない。追分火砕流は、先端部の表現精度を高めた。
これまでの地質図とどこが違うか
 新しい地質図は、これまでの地質図と塗り分けが違うだけでなく、浅間山の噴火史(過去の事実)の個々の認識に関して大きく異なる部分がある。各地質図の見解の相違を箇条書きしてみよう。
八木貞助の地質図(1936年)
  • 鬼押出し溶岩は、鎌原泥流に引き続き噴出したと解釈した。
  • 吾妻火山弾流(火砕流)が古い時代の産物ではなく、最後の大噴火である1783年の産物であることをみいだした。
鬼押出熔岩 本熔岩は天明三年七月八日の午前十時過鎌原泥流に引続いて噴出したもので、其前日に噴出した吾妻火山弾流と共に、天明大爆発の最後の産物である。(104ページ)
吾妻火山弾 本火山弾流は是迄古期の噴出にかかるものと思って居たが、「浅間記」には天明三年噴火の條に左の記事が載って居る。「七日の申の刻頃浅間より少し押出し、南木の原にぬっと押広がり、二里四方許押散らして止まる」云々とあり、・・・(116ページ)
鎌原泥流 浅間山頂から伏瞰すると、鬼押出の黒紫色を呈する熔岩流の先端に当って、草野が其両側の緑色なるに比して、一層濃緑色を呈して居るのが目立つのである。此濃緑色の一帯が天明三年の大爆発の際に、鬼押出溶岩の先駆をなした俚俗「泥押」と称して居る最新噴出のものである。(118ページ)
荒牧重雄の地質図(1962年、1993年)
  • 追分火砕流が南麓だけでなく北麓にも流れたことをみいだした。
  • 軽石流の噴火は2000年ほどの時間を隔てて2回起こった。
  • 応桑の流れ山地形は浅間山がつくったものではない(1968年)。
新しい地質図(2007年)
  • 1783年、鬼押出し溶岩は8月2日には山頂から流れ出していて、8月4日の吾妻火砕流の流路に影響を与えた。
  • 鎌原土石なだれは、鬼押出し溶岩の先端から発生した。
  • 軽石流の大規模噴出は2回ではなく、1万5800年前の1回だけだった。
  • 応桑に展開する流れ山地形は、浅間山が2万4300年前に崩壊して発生した土石なだれが残した。それはBP2軽石噴火の直前に起こった。
地形分類図と地質図の合体
 地質学者は、地層断面を観察して、どこにどんな地層が露出するかを色分けした地質図をかく。一方、地形学者は平坦面や斜面を分類して、地図をいくつかの領域に塗り分けた地形分類図をかく。
 当初、八木地質図と荒牧地質図を更新することを念頭において作業を進めたが、ある時点から、地質図よりむしろ地形分類図をつくるほうが望ましいと考えるようになった。ハザードマップとしての利用を考えると、そのほうが表現しやすいと考えた。
 ただし地形分類図だけにしてしまっては、情報の一部が失われてしまう。地形分類図と地質図の両側面をもった新しいタイプの地図をつくることを目標とした。具体的には、地質境界だけでなく地形境界もかくことにした。これに陰影を施して、平面地図を立体的に見せる工夫をした。2万5000分の1の精度だから、地形をよく表現できる。
火山防災の基礎データとして役立てる
 かつての地質図は、「どこにどんな地層が分布しているか」を示しただけの図だった。資源の経済価値に注目するだけなら、それで十分だっただろう。
 その後、過去の火山噴火がそこから読み取れることを目指した地質図がかかれるようになった。私もそのような地質図をいくつかかいたことがある。
 しかし、いまはそれだけでは満足できない。とくに火山の地質図は、防災の基礎データとして使いたいという社会的要請に応える必要がある。
 火山防災のための地図は、これまでハザードマップと呼ばれて、地質図とは別のものだと認識されていた。しかしここではその認識方法をとらず、古くからある地質図そのものを防災マップに使用することを目指す。地質図には、過去の事実に基づいているという強みがある。説得力がある。過去の災害をみて、これから起こる未来の災害を防止しようとする試みは、まさに地質学の得意分野だ。
具体的には、次のゾーニングを明らかにする。
  • 200年前の吾妻火砕流におおわれた土地
  • 900年前の追分火砕流におおわれた土地
  • 1万5800年前の平原火砕流におおわれた土地
  • 2万4300年前の塚原土石なだれにおおわれた土地
このほかに、200年前に発生した鎌原土石なだれの被災地を別扱いする。山頂火口からの距離によってこれをさらに細分すれば、火山防災のために使いやすいゾーン分け地図ができあがる。
 過去に火山災害に襲われた土地を、単に危険だと認識するだけでなく、発生頻度のデータを与えて、リスクを定量的に評価できるようにすることが求められている。これからの火山防災を考えるとき、リスクでゾーニングすることは必須である。
 この地質図をみれば、住民のひとり一人が、自分の生活圏がどのゾーンに属しているかを簡単に認識することができる。ゾーンは行政による防災対応の基本単位となるだろう。
 
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者 早川由紀夫(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(株式会社チューブグラフィックス
ウェブ製作 有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。