堆積物から噴火をよみとる
Reconstructing Past Eruptions from the Deposits
 
 テフラは短時間で広い範囲を覆うため,等時間面を与える鍵層としてたいへん貴重である.テフラのこの性質を利用して編年をおこなう研究をテフロクロノロジーという.

 ある火山の噴火史を知るには,その火山から噴出したテフラを対象にしたテフロクロノロジーを行うことがもっとも早道である.ただし降下テフラは,急傾斜地が多い大円錐火山の山腹にはあまりよく保存されない.高地では周氷河作用によっていったん堆積したテフラが氷期に浸食されてしまう.中部・北関東地域では,標高1200m以上の高原で2万年前より古いテフラをみつけることは困難である.また,日本のような中緯度地方では,降下テフラは偏西風の影響を強く受けて火山の東方に分布することが多い.このような事情から流紋岩〜安山岩の火山のテフロクロノロジーでは,火山から 20-30km離れた低地の平坦面上を対象とするのが常道である.そこでは一枚の降下テフラの厚さがほどよい薄さ(10-100cm程度)になり,他のテフラとよく重なり合う.
 ニュージーランド北島のタウポ湖の周りには,日本とよく似たテフラ/レス断面がたくさん見られる.2万6500年前のオルアヌイ(Oruanui)火砕流堆積物を覆うレスの間にたくさんの降下テフラが挟まれている.
 クロボクとロームのちょうど境界に,男体山最後の噴火で降下した七本桜軽石(SP)と今市スコリア(IS)がある.浅間山から1万5900年前に降灰したUG火山灰がその下10cmにあるので,この噴火が起こったのはそれから約1000年後の1万4900年前ころと決められる.

 その下のロームには薄いスコリア層が何枚か挟まれていて,ローム中にもたくさんのスコリア礫が散在している.一方,小川スコリア(OS)の下のローム中にはスコリア礫がほとんど混じっていない.男体山は2万3000年前の小川スコリア噴火で誕生し,それから約8000年間噴火を断続してできた火山錐である.
(今市市大室,男体山の東24km;Nantai tephra layers of Nikko)
クロボクもロームも休止期に堆積したレスである.クロボクは腐植を多く含むので黒い.完新世のレスがクロボクであることが多いのは,人為によって森林の草原化が進んだためらしい.
 上毛かるたに「裾野は長し赤城山」と詠まれた赤城山は,利根川に面した西半分に広い火山麓扇状地をもっている.それは,20万年前ころに土石流と火砕流・熱雲を盛んに流した結果つくられた.

 写真には2枚の熱雲堆積物が写っている.下の熱雲堆積物には,谷を埋めて流れたblock-and-ash flow堆積物が伴われている.両者に挟まれた富士見軽石(FjP)は15万年前のプリニー式テフラである.
 西麓のこの地点には赤城山のテフラが少ない.そのかわり,4万2000年前に榛名山から八崎軽石(HP)が,2万1000年前に浅間山から白糸軽石(SP)が,6世紀に再度榛名山から伊香保軽石(FP)が飛来している.
(群馬県赤城村津久田;Tephra and loess section on the west flank of Akagi)