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1万5000年前の八戸噴火でつくられた平坦な火砕流台地(L)の上に堆積したレスの間に,そのあと十和田湖から起こった何回もの爆発的噴火の証拠が残されている.
はじめは小さな爆発が頻繁に繰り返されたためテフラとレスの細かい互層が堆積したが,9500年前の南部軽石(E)以降は大きな噴火が数千年の時間間隔をおいて起こるようになったため,それぞれ特徴をもつテフラがレスの間に残された. |
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C(中掫ちゅうせり軽石)は6300年前,Bは1900年前,Aは平安時代915年の噴火の堆積物である.EとCの中間にあるD軽石はこの地点に堆積していないので,その噴火の存在はこの地点のレス断面だけからでは知ることができない.十和田湖の東南東19km.
(青森県田子町杉沢) |
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三宅島の1983年噴火は10月3日15時15分から始まり翌朝には終わった.この噴火で残されたテフラを限られた観察記録と照合することによって,その推移を分単位で復原することができる.
発泡の悪いスコリア礫からなる2Pは,16時38分に新澪池から立ち上がった真っ黒な噴煙柱からの降下物.スコリア暦とあずき色火山シルトからなる3PQは,18時34分にその火口が南へ拡大して岩塊を激しく吹き飛ばし始めたときの降下物.青黒色火山砂からなる4Sは,21時40分から本格化した新鼻(にっぱな)タフリング形成に伴って降下した火山灰.黒色火山砂に表面を覆われたスコリア礫からなる5Rは,22時33分に起こったM6.2の地震をきっかけとして再開した新鼻に立ち上がった火柱からの降下物である.
(三宅島坪田高校) |