ver. 0.6 (1999.1.26) 暫定版です.
完新世 完新世 (Holocene) とは,前回の氷期が終わっておとずれた温暖な時代をいう.現在を含む.前回の氷期の最寒冷期は2万年前ころにあった.その後,徐々に温暖化が進んだが,1万3000年前ころに顕著な「寒の戻り」があった.この「寒の戻り」はとくにヨーロッパで顕著にみられた.当時デンマークに堆積した地層中にDryas Octopetala(和名チョウノスケソウ)の花粉が多量にふくまれることにちなんで,この時代はYounger Dryas(新ドライアス)とよぶ.
完新世の始まりは,この新ドライアスの終了時と定義するのが現在の国際的慣用である.新ドライアスの終了は放射性炭素時計で1万年前ちょうどと測られる.これは紀元前9690年ころに相当する.西暦2000年からさかのぼると,1万1690年前ころである.
完新世火山 完新世に噴火したことがある火山を完新世火山 (Holocene volcanoes) とよぶことにしよう.紀元前9690年以降に噴火したかどうかで,完新世火山であるかどうかが判定される.以下では,日本の火山を完新世火山とそうでないものに分類してみよう.そして日本の完新世火山の総数を確認しよう.
氷期のきびしい気候 前回の氷期最盛期における日本列島の平均気温はいまより7℃ほど低かった.このため,雪線はいまより1200mほど低下して,中央日本では標高2800mふきんにあり,その高さを超える飛騨山脈や赤石山脈には多数の氷河がかかっていた.氷河に覆われた地表は激しく削られてカールやU字谷が形成された.
雪線のすぐ下にある周氷河帯の限界(すなわち森林限界)も氷期には同様に1200mほど低下した.中央日本では,標高1200mふきんまで低下した.周氷河帯では凍結融解作用が激しく働くから,表土がしだいにはぎ取られる.周氷河環境下に数万年間おかれた地表は,風と流水の作用によって数mの表土を失うだろう.表土をすっかり失った地表は岩盤を露出する.
中央日本の標高1200m以上の高地は,前回の氷期の期間中に表土をすっかり失って岩盤を露出させた.現在そこに見られる表土は,完新世になって気候が温暖化するにしたがって徐々に上昇拡大した森林に庇護されてはじめて堆積した表土である.ただし緩傾斜地の多くには湿原が生じ,泥炭が堆積した.
完新世火山の判定法 氷期に普遍的に生じたはずの上記の氷河作用・周氷河作用の有無を確かめれば,火山の噴火口や溶岩流などが前回の氷期またはそれ以前に生じたのか,あるいは完新世になってから生じたのかを,そこが高地あるいは高緯度であるかぎり,容易に判定することができる.
具体的には,1)地表が氷河による浸食をうけているか,2)地表に氷河が残した堆積物があるか,3)表土の堆積がいつから始まっているか,4)表土中に噴火堆積物が挟まれているか,などで判定する.
火山の数え方 火山をひとつ二つと数えることは,本来的に恣意的であることから免れることができない.ここでは,噴火口が5km以上離れていれば別の火山と認めることにする.しかしこのルールを厳密に適用することはせず,地元住民の意識・学界での慣習を尊重し,ときには5kmより近接している二つの火山体を別々の火山であるとみなす.
1707年の噴火記録が豊富にある富士山が完新世火山であることは明らかだし,火山体全体が著しく開析されている群馬県の武尊山が完新世火山でないこともまた明らかである.ここでは,そのような自明の火山の検討は省略し,完新世火山かどうかすぐにはわからない火山34について判定作業をおこなった(表1).そのうちのいくつかの火山について,以下で説明を加える.
トムラウシ もっとも新鮮な火山地形を示す山頂ドーム溶岩ですら,溶岩塊の角がとれて厚い風化皮膜に覆われて,長期間地表に露出していたことを示している.地表直下にある泥炭中にトムラウシ火山からの噴火堆積物は挟まれていない.
寒風山 林(1991)が3000年前の噴火堆積物を記載しているが,1995年5月,林とともに現地でその地層を再度観察したところ,それが寒風山の噴火によってつくられた堆積物かどうか疑いが残った.寒風山が完新世火山であるかどうかを判定するためには,現地でこの堆積物の再調査が必要である.
八幡平 八幡沼は爆裂火口だが,そこから飛散したはずのテフラは周囲に厚く堆積している泥炭の中にみつからない.八幡沼は泥炭より古いらしい.
高原山 奥野ほか(1997)は富士山ドームが6500年前に形成されたとしたが,彼らが放射性炭素年代を測定した炭化物は富士山ドームの噴火年代を与えないようだ.富士山テフラは,クロボクではなくロームの上に衝突クレーターをつくって堆積している.厚い風化皮膜に覆われた富士山ドームは25万年前より新しいが2万年前より古い.
日光三岳 戦場ヶ原の北にある前三岳と奥三岳は,5000年前にできた双子の溶岩ドームである.
赤城山 『吾妻鏡』の1251年の条にある「赤木嶽焼」は山火事である可能性がつよい.赤城山からの最後の噴火は,山頂火口内に生じた地蔵岳溶岩ドームらしい.その年代は,やや決めにくいが,およそ2万4000年前である.なお栃木県・茨城県に広く分布する鹿沼軽石は,3万3000年前の赤城山の噴火で降下堆積したテフラである.
志賀 志賀山ドームは1万5900年前の浅間嬬恋軽石の上にある.溶岩ドームは厚さ約1mの泥炭に覆われていて,その中に鬼界アカホヤ火山灰や妙高山・浅間山からのテフラが挟まれている.それらのテフラから知られる泥炭の堆積速度をもちいて志賀山の年代を見積もると,1万0000年前になる.志賀山から北に広がっているおたの申す平溶岩(M4.6)もそのときの噴火で生じた.周氷河作用をほとんど受けていないため,微地形がよく残っている.
蓼科横岳 坪庭溶岩の流れた地形および磨滅していないたくさんの刺を表面に持った溶岩塊はたいへん新しくみえる.数百年前に噴火したのではないか.
白馬大池 風吹大池にある小敷池・科鉢(しなはちの)池などの爆裂火口から飛散したはずのテフラは周囲の泥炭の中にみつからない.これらの爆裂火口は泥炭より古い.
鷲羽池 三俣蓮華岳山頂下の登山道分岐に,多量の火山豆石を含む砂礫まじりの粘土質テフラが泥炭中にある.文献によると,このテフラの下5cmに鬼界アカホヤ火山灰があるという.三俣蓮華岳北東斜面にはガラス質の弾道岩塊が地表に散在している.三俣山荘ふきんには湿ったサージ堆積物がある.鷲羽池の火口地形は新鮮で,氷食作用を受けていないようにみえる.したがって,鷲羽池は6000年前の噴火で形成されたと言える.
米丸 鹿児島県蒲生町の市街地すぐ北側に米丸と住吉池という二つのマールがある.両者は2kmほどしか離れていない.これは,縄文海進時の7500年前に同時にできたらしい.
横当島 トカラ列島の無人島・横当島は露岩で囲まれていて,最近まで噴火が続いていたことがわかる.江戸時代末期に噴火したという説がある.
気象庁活火山だが完新世火山でないもの 気象庁活火山は,原則として,過去2000年間に噴火したことがある火山を拾い上げたリストである.1996年の見直しで86の火山が登録されている.その中に完新世火山でないと思われる火山が3つある.恐山・八幡平・赤城山である.ただし,恐山に関しては調査が不十分であるから確認のための調査が必要である.
気象庁活火山でないが完新世火山であるもの 羊蹄山・寒風山・肘折・沼沢沼・日光三岳・志賀・蓼科横岳・鷲羽池・利島・三瓶山・由布岳・米丸・池田湖・口之島・横当島の15の火山は気象庁活火山ではないが,完新世火山である.ただし寒風山・蓼科横岳・横当島は,確認のための調査が必要である.
したがって,気象庁活火山86から削除されるべき火山が2ないし3,追加されるべき火山が12ないし15だから,日本の完新世火山の数は97(±2)である.
完新世火山からもれたが噴火するかもしれない火山 噴火史研究が比較的よく整っている過去12万年ほどの日本を総覧してみると,完新世の長さ(1万1700年)では,その間に噴火しなかったことをもって,その火山がもう二度と噴火しないと断言できないことがわかる.2万年程度の静穏を挟んで噴火した例が多数みとめられるからである.
草津白根山は,35万年前ころを最後に噴火をやめてしまったが,1万9000年前から再度噴火を繰り返している.榛名山は,22万年前ころから4万2000年前まで噴火をまったく中断している.このように,20万年や30万年という長い時間を隔てて再噴火した火山の例もある.
したがって特定の火山について,もう二度と噴火しない,死んでしまった,すなわち死火山である,と100%の確信をもって宣言することはむずかしい.日本列島の火山は,(それが火山フロントの背後にある限り)すべて再噴火する可能性をもっている.
しかし防災の面からいうと,30万年ぶりの噴火に備えて対策するのは現実的でないと思われる.30万年前あるいはそれ以前に噴火をやめてしまった山形県の月山,新潟県の苗場山,長野・群馬県境の四阿山などが再噴火することを心配してそれに対策を施すことは,費用対効果からいって不適当である.
最後の噴火から1万7000年以上経過したが,まだ3万年は経過していない利尻山・濁川・目潟・男体山・赤城山・神鍋山・大山の7火山は,完新世火山ではないが再噴火する可能性がまだあると考えるのが妥当だろう.これらの火山には,場合によっては,噴火対策を施すのがよい.