日光白根山を含む日光火山群の成り立ち
日光地域には小さい火山がたくさんある.稲荷川によって浸食拡大された直径2kmの中央火口をもつ女峰山がそのなかで最も大きいが,それでもさしわたし14kmの大きさしかない.次に男体山と日光白根山と太郎山が大きい.以上の四山は複数回の噴火で長期間かかって形成された円錐火山である.大真名子山・小真名子山・山王帽子山・三岳・光徳は一回の噴火で生じたと思われる溶岩ドームである.
女峰山は35万年前ころから噴火をはじめ,平均して1万年に1回の割合でM4以上の爆発的噴火を繰り返したが,8万6000年前を最後に噴火をやめてしまった.詳しい成長過程はわかっていないが,24万年前に山体の一部が崩壊して岩なだれと泥流が発生したことが火山灰層序から知られている.このときまでに,女峰火山の山体は重力不安定が生じるくらい大きく成長していたらしい.
男体山は2万3000年前に噴火をはじめ,その後7000〜8000年間断続的にスコリア(黒い軽石)を放出しつつ円錐形の火山体をつくった.この過程で,大谷川が溶岩流にせき止められて中禅寺湖が生じた.1万4000年前に,火砕流を伴った軽石噴火(七本桜/今市噴火,M5.6)が起こり,続いて北側へ御沢溶岩を流出したあと,男体山は現在まで沈黙を続けている.今後ふたたび噴火するかどうかはわからない.
三岳・光徳の双子溶岩ドームは,七本桜/今市噴火の火砕流堆積物を覆い,榛名二ツ岳の伊香保軽石(6世紀)に覆われている.したがって,その形成は1万4000年前から1400年前までの間のいつかである.
古記録によると,日光白根火山は1649年2月の噴火(M2.8)で山頂に直径200m,深さ10mの新火口を生成し,戦場ケ原南部の赤沼ふきんに数十cmの降灰がみられたという.現在,湯ノ湖の南岸で,厚さ2cmのこのときの粘土質火山灰を榛名二ツ岳軽石の上に観察することができる.
表面微地形がよく残っている血ノ池地獄溶岩と座禅山溶岩,および山頂溶岩ドームの一部は数千年前に流出したものだろう.血の池地獄溶岩は,一見すると血の池地獄から出たようにみえるが,空中写真を観察すると,山頂から北へ流れ出し,座禅山を南から取り巻いて左右に流れた様子が溶岩堤防によってはっきりわかる.血の池地獄は溶岩流内部の地滑り地形である.血の池地獄溶岩は榛名伊香保軽石に覆われている. 山頂の南に見られる半欠けのタフリングは伊香保軽石に覆われてる.丸沼高原スキー場をのせている溶岩流は大滝川をせき止めて丸沼や菅沼をつくった.その表面に溶岩堤防などの微地形がまだ十分に確認でき,溶岩塊表面の風化も進んでいないから,最後の氷期のクライマックス(約2万年前)以降に流出したと思われる.