鎌原村の住人のうち,約50段の石段を駆け上がって観音堂に逃れた93人だけが助かり,463人が岩なだれにのみこまれた.岩なだれには熱風が伴わないので,観音堂の丘に逃げた人達は助かることができた.もしそれが火砕流あるいは熱雲だったなら,その人たちの命もなかったはずである.
当時の地表は現在の地表の約10m下にある.1979年8月の発掘調査では,石段を登ろうとして力つきた二人の女性の遺骨がみつかった.現在の鎌原地区は,厚さ数mの岩なだれ堆積物に埋められたその上に再建されている.
天めいの生死をわけた15だん