地点5 峰ノ茶屋 1783年軽石

1783年噴火で堆積したプリニー式降下軽石Aを浅間火山観測所構内で見る.シルト粒子をまったく含んでいないことが,火口から100km以内のプリニー式噴火堆積物の特徴である.噴火で生産されたシルト粒子は,それより遠くの広範囲に降下した.軽石層の真ん中ふきんに挟まれている3枚の薄いピンク色火山シルト層は,1783年8月4日に発生した吾妻火砕流の上に広がったサーマルから降下した火山灰らしい.

浅間火山から東へ60kmと84kmはなれた伊勢崎と足利で書かれた二編の日記(『沙降記』と『足利学校庠主日記』;いずれも萩原(1985)に収録されている)を読むと,この降下テフラのどの部分がいつ堆積したものかを知ることができる.最下部2cmの青白色シルトは7月30日の降下火山灰らしい.その上の,ピンク色シルト層を挟む厚さ90cmの軽石層はやや細粒で,ぼんやりと層理がみえる.この部分は8月2日夕方から丸二日間かけて堆積した.

粗い軽石ばかりからなり,層理が不明瞭で均質に見える上半分80cmの軽石層は,8月4日夕刻に訪れたクライマックスの堆積物である.翌8月5日10時に鎌原火砕流が発生する直前の空はよく晴れ渡っていたというから,このクライマックスはそれ以前に終了した.したがって約10時間継続した定常噴火でつくられた堆積物だと判断される.その間ずっと,山頂火口の真上に高さ30〜40kmの噴煙柱プリュームが立ち続けたにちがいない.

『沙降記』には,8月4日24時ころ降砂と地震がもっとも激しかったとある.最上部15cmの軽石層に火山灰がまじっているのは,8月5日夕方の降灰記事に対応する.マグマが地下へ後退していくときの噴火産物だろう.

浅間山に近い場所で書かれた古記録には噴火の様相が詳しく書かれている.8月4日の暮合に軽井沢で丈次郎という青年が火石の直撃を受けて即死した『浅間山焼に付見分覚書』.沓掛(いまの中軽井沢)では,8月4日16時ころから雷・響音・地震が最高潮に達し,降ってきた石が屋根を打ち抜いたり,それによって火事が発生した『天明雑変記』.浅間山から東南東へ53kmはなれた群馬県藤岡市では,その日の暮方小石が降った『浅間山焼記』.藤岡市はこの降下軽石の分布軸の上にあり,厚さ7cmの軽石層が現在確認できる.


1783年の降下軽石.ほぼ中央に薄いシルト層が3枚挟まれている.吾妻火砕流のサーマル雲から降下した火山灰らしい.

1783年噴火堆積物の分布図

1783年降下軽石(A)の分布図(町田・新井,1992)


地点1 馬取
地点2 上発地
地点3 杉瓜
地点4 平原
地点5 峰ノ茶屋
地点6 白糸の滝
地点7 黒豆河原
       地点8 鬼押出し
       地点9 プリンスランド
       地点10 赤川の土取り場
       地点11 鎌原観音堂
引用文献

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