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大笹街道が古滝沢を横切る地点に露出する古滝火砕流の上には、厚さ8センチのクロボクを挟んで1108年の追分火砕流がのっている。このことから、両噴火の間には800年程度の時間が経過したことがわかる。前橋・高崎地域の考古遺跡では、平安時代のBスコリアの下に古墳時代のC軽石がみつかるという。遺物との関係から、C軽石の年代は3世紀末だと言われているから、この古滝火砕流がC軽石と同じ噴火の産物であるとみなすことはもっともらしい。 |
古滝火砕流は、よく酸化した赤い堆積物である。溶結している。古滝周辺では追分火砕流にすっかり覆われてしまって、地形をつくっていない(地点68)。
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鎌原観音堂にある嬬恋郷土資料館の天明噴火ビデオ(15分)はたいへんよくできている。その中に、吾妻火砕流の断面を映し出す場面がある。「六里ヶ原の茂みの中にあった」とナレーションが付されている。しかし残念ながら、カメラが映し出した堆積物は天明三年(1783年)の吾妻火砕流ではなく、1108年の追分火砕流だった。 |
六里ヶ原の下の舞台溶岩と、湯の平の円山(まるやま)溶岩もC噴火の産物だとする研究報告がある。 |