浅間山より古い地層
黒斑山の形成と2万4300年前の崩壊(塚原土石なだれ)
2万2050年前の噴火(雲場)
2万0800年前の噴火(白糸)
1万5800年前の噴火(平原)
6730年前の噴火(E)
5900年前の噴火(D)
東と南へ降った軽石
古墳時代の噴火(C、3世紀末)
685年(天武天皇十四年)偽噴火
1108年(嘉承三年/天仁元年、B)
1281年(弘文四年)偽噴火
1532年(享禄四年)土石流
1596年(文禄五年/慶長元年)
1598年(慶長三年)偽噴火
1721年(享保六年)
1783年(天明三年、A)
釜山と軽石
鬼押出し溶岩
吾妻火砕流
鎌原熱雲と土石なだれ
1900年(明治三十三年)偽噴火
1911年(明治四十四年)
1913年(大正二年)
1930年(昭和五年)
1931年(昭和六年)
1936年(昭和十一年)
1941年(昭和十六年)
1947年(昭和二十二年)
1950年(昭和二十五年)
1958年(昭和三十三年)
1961年(昭和三十六年)
1973年(昭和四十八年)
1982年(昭和五十七年)
1983年(昭和五十八年)
2004年(平成十六年)
参考文献
『浅間山大焼無二物語』に以下の記述がある。
「享保六年五月二十八日(1721。6。22)昼大焼け。此の年閏は七月に有る。当日関東の者拾六人嶺上ぼる皆打殺し死す。右之内漸々壱人命助り然レ共是迄来ル分も不知と云へり」
これと似た記事が『月堂見聞集』にあるが、その噴火日は六月二十八日になっている。どちらも18世紀に書かれた史料だから記録の同時代性は心配しなくてよい。1721年6月22日の爆発で、登山中の16人のうち15人が絶命したのは事実と認めてよいだろう。
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者
早川由紀夫
(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(
株式会社チューブグラフィックス
)
ウェブ製作
有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。