浅間山より古い地層
黒斑山の形成と2万4300年前の崩壊(塚原土石なだれ)
2万2050年前の噴火(雲場)
2万0800年前の噴火(白糸)
1万5800年前の噴火(平原)
6730年前の噴火(E)
5900年前の噴火(D)
東と南へ降った軽石
古墳時代の噴火(C、3世紀末)
685年(天武天皇十四年)偽噴火
1108年(嘉承三年/天仁元年、B)
1281年(弘文四年)偽噴火
1532年(享禄四年)土石流
1596年(文禄五年/慶長元年)
1598年(慶長三年)偽噴火
1721年(享保六年)
1783年(天明三年、A)
釜山と軽石
鬼押出し溶岩
吾妻火砕流
鎌原熱雲と土石なだれ
1900年(明治三十三年)偽噴火
1911年(明治四十四年)
1913年(大正二年)
1930年(昭和五年)
1931年(昭和六年)
1936年(昭和十一年)
1941年(昭和十六年)
1947年(昭和二十二年)
1950年(昭和二十五年)
1958年(昭和三十三年)
1961年(昭和三十六年)
1973年(昭和四十八年)
1982年(昭和五十七年)
1983年(昭和五十八年)
2004年(平成十六年)
参考文献
気象庁(1991)は、「9月23日04時37分の噴火で登山者1名死亡、6名負傷、山麓でガラス破損、爆発音の外聴域出現」と書いている。これを裏付ける記事が9月24日の毎日新聞にある:
「登山者四十三名中賽の河原で長野工高二年生新井幸雄君(一七)が火山弾で死んだほか重傷一、軽傷男四、女三を出し他は命カラガラ下山した。」
この爆発によって、大きな岩塊が投げ出されて釜山火口縁に上にちょうどのった。これを千トン岩という。千トン岩は釜山火口の真北に着地しているので、よいランドマークとなっている。気象庁軽井沢測候所が作成した
1950年9月23日噴火による放出岩塊分布図
。
もっとも遠くまで達した火山弾
この岩は丸い外形とガラス質であることから、20世紀のブルカノ式爆発のときに浅間山頂火口から飛来した火山弾だと思われる。山頂火口中心から測って
5.5キロの距離
にある。現在まで知られている限り、浅間山頂火口からもっとも遠くまで飛行した火山弾である
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者
早川由紀夫
(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(
株式会社チューブグラフィックス
)
ウェブ製作
有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。