気象庁(1991)は,「7月9日死者1名,負傷者1名」と書いているが,私たちは当時の新聞記事でそれを確認することができなかった.戦争に突き進んでいた当時の社会状況下では,浅間山の爆発による遭難は新聞に書かれにくかったのかもしれない.
 「気象要覧」をみると,7月9日の爆発は23時32分に起こったとあるが,死者の記述はない.そのかわり,7月13日13時05分の爆発で死者1名,重傷者2名とある.
 軽井沢測候所が1956年にガリ版刷りで発行した『浅間山爆発史集 685-1955』(気象庁本庁所蔵)には,7月9日23時32分の爆発爆発に関する5行の記述の後に続けて,「13時06分「ドーン」と云ふ底力のある音と共に障子が稍々強く震動を感ぜり」とある.軽井沢測候所に所蔵されている原稿を西脇 誠さんが確認したところ,そこには刊本にない一行があり,「七月十三日」と書かれていることがわかった.
 13時06分の爆発の様子がそこにはたいへん具体的に書かれている.「尚この爆発当時山頂にありし4名中3名は追分に大笹に下山せしも他の1名は火口近くにて死体となり焼石のため「クシャクシャ」となって居った尚ほ追分に下山した遭難者酒井氏(新潟鉄道局員)も焼石のため数個所負傷せり此の語るところによると爆発前少々鳴動を感じたりと云ふ当時は霧のためにて火口全く望み得ざりしも爆発后大分霧が晴れたる如く感じた火口附近は西風にて噴煙は東に流れた如く煙にあわざりしは不幸中の幸いなりと附近一帯焼石落下盛なりしも降灰なし...」
 霧が晴れて噴煙の様子が見えたという記述は,これが7月9日夜間23時32分の爆発ではなく7月13日昼間13時06分の爆発の記述であることを証明している.したがって,死者が出た爆発は7月13日13時06分だったことが確実である.負傷者が1名か2名かは確定しがたい.
 
浅間火山北麓の電子地質図 2007年7月20日
著者 早川由紀夫(群馬大学教育学部)
描画表現・製図 萩原佐知子(株式会社チューブグラフィックス
ウェブ製作 有限会社和田電氣堂
この地質図は、文部科学省の科研費(17011016)による研究成果である。
背景図には、国土地理院発行の2万5000分の1地形図(承認番号 平19総複、第309号)と、 北海道地図株式会社のGISMAP Terrain標高データを使用した。